今なお続くアメリカの黒人に対する差別。その起源となった大西洋三角貿易について、元予備校講師がわかりやすく解説! >歴史年代ゴロ合わせ暗記>インドの歴史 : インドの歴史 なんだか神秘的にも思えるインド。インダス文明から現在に至るまでのインドの歴史を学んでいきましょう。 1.インダス文明: 7.グプタ朝: 2.アーリア人の進入: 8.ヴァルダナ朝: 3. アメリカに13州の植民地ができる 《1756年》 英仏七年戦争始まる 《1769年》 イギリス産業革命始まる 《1776年》 アメリカ独立宣言 《1789年》 フランス革命 アメリカ独立戦争を年表で振り返る . 図説でわかりやすい小学歴史年表 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。 ?歴史ブログ . スポンサーリンク. 外国製ラムの輸入を違法とし糖蜜の関税を引き下げたため、ニューイングランドのラム蒸留所や商人は大打撃を受けました。 1765 執務室のジョージ・ワシントン. コーヒー歴史年表 〜1699年 1700年〜1899年 1900年〜 世界での出来事. 楽しくわかりやすい! ペリーが黒船に乗ってやってきて、開国をせまります。そこで、幕府は日米和親条約を結び、日本は開国しました。 2020-06-15. 黄巾の乱から晋の中国統一までの100年間をおおざっぱに紹介します。 気になる箇所があれば「関連記事」をお読み下さい。 この記事の目次. 超分かりやすい!三国志 おおざっぱ年表. 図説でわかりやすい小学歴史年表-キッズレッスン [単行本]の通販ならヨドバシカメラの公式サイト「ヨドバシ.com」で!レビュー、Q&A、画像も盛り沢山。ご購入でゴールドポイント取得!今なら日本全国へ全品配達料金無料、即日・翌日お届け実施中。 Tweet. スペインの歴史 年表 紀元前3000年 - 古代イベリア人が定住。紀元前1000年 - ケルト系の勢力が南下、先住のイベリア人と融合してケルティベリア人を形成する。紀元前227年 - カルタゴのハスドルバル・バル … ヤマト王権の中で中心となって行ったのが蘇我氏。その蘇我馬子とともに政治を行うようになったのが聖徳太子(厩戸皇子)です。冠位十二階の制度や十七条の憲法を制定しただけでなく、遣隋使を派遣して中国の文化も取り入れました。 中国を統一した唐の力が増したことで、日本にも脅威がせまります。このことから中央集権的な国家を作ろうとする動きが高まります。蘇我氏をほろぼし天皇を中心とした国家づくりを目指したのが大化の改新です。 ⇒ 飛鳥時代の年表、定期テストでのポイントなど続き … | 1、はじめに 受験世界史の地図の管理人しまうまです。 『受験世界史の地図』は、豊かな世界観を涵養するために作られたブログです。 なぜこれを作ったのかと言いますと、高校世界史は私の「世界の全体像を知る」という欲求を満たしてくれなかったからです 仏教の始まり: 9. アメリカ南北戦争の原因や歴史についてわかりやすく解説していきます。有名なリンカーンの奴隷解放宣言なども行われた、アメリカの転換点となった重要な出来事の一つです。アメリカ南北戦争は、現在の多民族国家アメリカとしての姿を形成する上で、重要な起点 このページに来てくれた皆さんは、そんな疑問を持っているかもしれません。大西洋三角貿易とは、17世紀から18世紀にかけてイギリスがおこなった貿易です。, イギリスはヨーロッパからアフリカに武器を輸出し、アフリカで黒人奴隷を乗せ、南北アメリカのプランテーションに売却しました。そして、この黒人奴隷の「輸出」が現在、アメリカで起きている黒人差別の根源となります。, 黒人に対する差別は過去のものではありません。2020年5月25日にはミネソタ州ミネアポリスで黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警察官に取り押さえられ、手錠をかけられた状態で首を圧迫され死亡しました。, こうした白人警察官による黒人への暴力は、かつてのアメリカでは日常的に発生していました。いったいなぜ、このような白人警察官による黒人容疑者への暴力が繰り返されるのでしょうか。, その起源はアメリカ大陸にアフリカ系の人々が奴隷として連れてこられた「大西洋三角貿易」にさかのぼることができるでしょう。, 人間を商品として売買するという非人道的な奴隷貿易である大西洋三角貿易を知ることは、現在のアメリカで起きている黒人差別問題を知るうえで必要な知識ではないでしょうか。, 今回は、大西洋三角貿易の背景や内容、貿易によってもたらされた影響についてまとめます。, 三角貿易とは、三つの地域を結ぶ国際貿易のことです。二国間貿易では利益を出しにくい場合、もう一つの国を加えることで貿易の効率を上げることができます。, たとえば、大西洋三角貿易の場合、ヨーロッパからアフリカに輸出して利益を上げられる商品は武器です。武器を輸入した沿岸部の黒人部族はは内陸部の黒人部族を襲撃し住民を捕らえます。, しかし、ヨーロッパでは黒人奴隷を必要としません。したがって、武器を持ってきた船は高い利益を上げる商品を持ち帰ることができません。そこで、ヨーロッパの船は奴隷を農場労働力として必要としている南北アメリカに運びます。, 南北アメリカで生産された砂糖や綿花はアフリカに運ぶよりヨーロッパに運んだ方が高値で売ることができます。奴隷を運んだ船は砂糖や綿花をヨーロッパに持ち帰ります。そうすると、船は常に利益率が高い商品を積むことができるのです。, 大西洋三角貿易の主役となったのはイギリス人です。なぜ、イギリスが大西洋の制海権を取ることになったのでしょうか。, 大航海時代の当初、大西洋はスペインの海でした。中南米を征服したスペインは大量の銀を本国に運びます。スペインの銀船隊はスペインの富の象徴でした。しかし、17世紀以降、オランダやイギリスが台頭すると制海権はオランダやイギリスに移ります。, 17世紀半ば、イギリスとオランダは貿易の利権などをめぐって激しく戦いました。これが英蘭戦争です。戦争に勝利したのはイギリスでした。こうしてイギリスは大西洋の制海権を手中にし、大西洋三角貿易の主役となったのです。, 大西洋三角貿易の背景には、大航海時代の始まりと、ヨーロッパ人による南北アメリカ大陸の植民地化がありました。, ヨーロッパ人は原住民のインディアンやインディオから土地をとりあげ、大農園を開きます。, 過酷な労働や白人との争い、白人が持ち込んだ天然痘などの病気が原因でインディオやインディアンたちの人口は激減してしまいます。, 15世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパ諸国の航海技術が一気に発達し、「大航海時代」が始まりました。, 航海技術が発達したことで、これまで、陸地の近く中心で航行していた船が、陸地を遠く離れた外洋まで航行できるようになります。, ヨーロッパの船乗りたちが目指したのは、インドでした。インドにはヨーロッパ人が求める香辛料があったからです。, 1488年、ポルトガルのバルトロメウ・ディアスはアフリカ南端の喜望峰に到達します。, アフリカ廻で先を越されたスペインは、コロンブスが提案した西廻り航路でインド到達を狙います。, 1492年、コロンブスはカリブ海のサンサルバドル島に到達しました。ここから、スペインによる中南米の植民地化が始まります。, 中南米に進出したスペイン人たちは、もともとあったアステカ王国やマヤ文明、インカ帝国などを滅ぼし、中南米をスペインの植民地とします。, スペイン人たちは原住民のインディオたちをキリスト教に改宗させる一方、彼らを農園や鉱山の労働力として強制的に働かせました。過酷な環境で働かされたインディオたちはどんどん死んでしまい、あっという間に人口は10分の1以下に激減したといいます。, カリブ海で本格的にサトウキビ生産がはじまると、農場主のスペイン人たちは労働力を確保するため、奴隷を欲しがりました。, 中南米だけではなく、北米にもヨーロッパ人たちがやってきました。北米に進出したのはイギリスとフランスです。, 最初、イギリス人やフランス人は大西洋の沿岸部を植民地としました。毛皮取引が中心で、商人など少数の人たちが渡ってきただけでした。ところが、イギリス人は家族ぐるみで移住し、大西洋沿岸に強い植民地をつくりあげます。, イギリス本国で清教徒革命などの内乱がおき、宗教的に迫害された人々がアメリカにやってきたことも、植民地拡大の理由となりました。, イギリスは17世紀から18世紀にかけて、世界各地でフランスと戦います。どちらがより大きく植民地を獲得するかで、イギリスとフランスは何度も戦争します。戦争の結果、勝ったイギリスは世界各地で広い植民地を手に入れました。, 1775年、イギリスの植民地だった13州植民地はイギリス本国と税金や貿易などをめぐって対立し、戦争となりました。アメリカ独立戦争です。, 戦争に勝利した13州植民地は、アメリカ合衆国となりました。アメリカ合衆国は原住民のインディアンと戦い領土を広げます。アメリカ南部ではイギリス系の白人が広い土地を所有する大農園が発達しました。, ヨーロッパ人(主にイギリス人)たちはヨーロッパの港を出るとき、武器や酒、綿織物などを積み込みました。彼らの行き先はアフリカ大陸です。, 西アフリカにたどり着いたヨーロッパ人たちは、沿岸部の黒人たちと取引します。ヨーロッパ人たちは黒人たちに武器を与え、内陸部に住む黒人を「狩らせ」ました。, ヨーロッパ製の武器で武装した沿岸部の黒人たちは内陸部の黒人との戦いに勝ち、彼らを捕虜として沿岸部に連れてきます。ヨーロッパの商人たちは、彼らのうち、長距離の航海に耐えられる屈強なものを選んで買い取りました。, 黒人奴隷を乗せた船は「奴隷船」とよばれます。奴隷は「黒い積み荷」としてすし詰め状態で船に詰め込まれます。栄養失調や病気の流行で多くの黒人たちが亡くなりました。, 黒人たちの中には前途を悲観して自殺する者や、反乱を起こすものもいたので到着する前にかなり多くの人が命を落としたと思われます。, 奴隷船は死者や病気の感染が疑われる奴隷、病人を海に投げ捨てました。そのため、奴隷船の周囲にはサメがまとわりついていたといいます。, 南北アメリカにたどり着いた黒人たちは、沿岸部で競売にかけられ、それぞれの農場に連れていかれました。奴隷は人間ではなく道具として扱われ、農場では劣悪な小屋に押し込まれます。このことを描いたのが「アンクルトムの小屋」でした。, 彼らはサトウキビやコーヒーの農園で奴隷労働をします。北アメリカに運ばれた奴隷たちは、アメリカの南部で綿花栽培をしました。奴隷の労働力によって生み出された安い農産物は、ヨーロッパ人商人の手によってヨーロッパに運ばれ大きな利益を生み出します。, 大西洋三角貿易は、16世紀から19世紀まで盛んにおこなわれます。大西洋三角貿易は、各地域にどんな影響を与えたのでしょうか。, イギリスは奴隷貿易を独占し、巨額の利益を上げます。アフリカで買った奴隷をアメリカで売りさばき、アメリカの綿花や砂糖をヨーロッパで高く売り払うことで、イギリスはお金を貯めました。貯めたお金は、産業革命のもとになります。, サトウキビを原料とするラム酒や綿花や砂糖、ラム酒を運ぶ船を作る造船業、船でモノを運ぶ海運業が発達しました。ニューヨークやボストンといった街は、奴隷貿易の港として栄えます。奴隷貿易で蓄えた貯金は、アメリカ独立戦争の資金源となりました。, カリブ海に浮かぶ西インド諸島では、サトウキビ生産が盛んになりました。しかし、サトウキビ以外にこれといった特産品がありません。欧米の砂糖業界の景気次第で、西インド諸島の経済が良くなるか悪くなるか決まってしまうというサトウキビに頼りきりの経済になってしまいました。, 1000万人近くの人々が生きたままアフリカからアメリカ大陸に奴隷として送られたといいます。途中で亡くなった人などを含めると、数千万人が奴隷狩りの犠牲になったともいわれます。あまりに多くの人口を失った西アフリカ地域は、経済発展が止まってしまいました。, 南北戦争中に出された「奴隷解放宣言」により、アメリカでは黒人奴隷が解放されました。しかし、その後も差別が継続します。特に南部の州では「ジム・クロウ法」とよばれる人種差別的な内容を含む州法が力を持っていました。, 黒人が白人と平等になってしまえば困ると考えた、南部の白人農園主たちが奴隷解放宣言を骨抜きにするために作らせたといってもよいでしょう。, 合法的に黒人や有色人種を差別するジム・クロウ法が1964年の公民権法によって廃止されるまで存在していたことは、しっかりと覚えておかなければなりません。, アメリカは、良い点もたくさんある国です。しかし、人種差別など日本人にとってなじみがなくても注意しなければならないことが、最近まで行われ、今も続いているということを忘れるべきではありません。, 歴史を学ぶことで、自分の国や相手の国の良いこと、悪いことをしるのはとても大事なことではないでしょうか。, 「https://www.kiboriguma.work/」(以下、当サイト)を利用される方は、以下に記載する諸条件に同意したものとみなします。, 利用者は匿名のままで、当サイトを自由に閲覧する事ができます。お問合せ等、場合によっては、利用者の氏名やメールアドレスなどの個人情報の開示をお願いする事があります。しかし、利用者の個人情報を利用者の許可なく、当サイトから第三者へ開示・共有する事はありません。, 当サイトでは、Googleによるアクセス解析ツール「Googleアナリティクス」を利用しています。このGoogleアナリティクスはトラフィックデータの収集のためにCookieを使用しています。このトラフィックデータは匿名で収集されており、個人を特定するものではありません。, この機能はCookieを無効にすることで収集を拒否することが出来ますので、お使いのブラウザの設定をご確認ください。, この規約に関して、詳しくはhttps://www.google.com/analytics/terms/jp.htmlをクリックしてください。, 当サイトはGoogle及びGoogleのパートナーウェブサイト(第三者配信事業者)の提供する広告を設置しております。その広告配信にはCookieを使用し、当サイトを含めた過去のアクセス情報に基づいて広告を配信します。 DoubleClick Cookie を使用することにより、GoogleやGoogleのパートナーは当サイトや他のサイトへのアクセス情報に基づいて、適切な広告を当サイト上でお客様に表示できます。 お客様はGoogleアカウントの広告設定ページで、パーソナライズ広告の掲載に使用される DoubleClick Cookie を無効にできます。また aboutads.info にアクセスして頂き、パーソナライズ広告の掲載に使用される第三者配信事業者のCookieを無効にできます。 その他、Googleの広告における、Cookieの取り扱いについての詳細は、Googleのポリシーと規約ページをご覧ください。, 当サイトのウェブサーバは、利用者のコンピュータのIPアドレスを自動的に収集・記録しますが、これらは利用者個人を特定するものではありません。利用者が自ら個人情報を開示しない限り、利用者は匿名のままで、当サイトを自由に閲覧する事ができます。, 利用者は、当サイトを閲覧し、その内容を参照した事によって何かしらの損害を被った場合でも、当サイト管理者は責任を負いません。また、当サイトからリンクされた、当サイト以外のウェブサイトの内容やサービスに関して、当サイトの個人情報の保護についての諸条件は適用されません。 当サイト以外のウェブサイトの内容及び、個人情報の保護に関しても、当サイト管理者は責任を負いません。, kiborigumaさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog アメリカ合衆国の歴史; 年表; 先コロンブス期: 植民地時代: 1776年–1789年: 1789年–1849年: 1849年–1865年: 1865年–1918年: 1918年–1945年: 1945年–1964年: 1964年–1980年: 1980年–1991年: 1991年–現在: テーマ別; 領土の変遷: 領土獲得 (英語版) 外交史: 軍事史: 技術・産業史: 経済史: 文化史 (英語版… 日本での出来事 〜1699年. 超分かりやすい!三国志 おおざっぱ年表 . レキシル(Rekisiru)は偉人や万物の歴史を紹介するウェブメディアです。選りすぐりの歴史好きライターが集結し、様々なジャンルの歴史に関して発信していきます。ウィキペディアよりも読みやすく、正確な情報を読者のみなさまにお届けします! 歴史. スポンサーリンク. 麒麟がくるで身分の高い女性はなぜ立て膝なのか? 世界では恐慌の前に何が起こっていたのか? 歴史侍/歴史の探究者. 聖伝 - 通史 - 年表 - 原始キリスト教 - 初期キリスト教 - 初代教会 - 古代末期のキリスト教 - 中世ヨーロッパにおける教会と国家 - 教皇領 - 東西教会の分裂 - 叙任権闘争 - 教会改革 - 宗教改革 - ヨーロッパにおける政教分離の歴史 - アメリカ合衆国における政教分離の歴史 - 政教分離 ?元予備校講師がわかりやすく解説, どん底の昭和恐慌から日本を復活させた「ダルマさん」高橋是清と高橋が行った高橋財政とは, バブル景気とは何か、バブル景気が発生した原因やバブル期のエピソードなどについて元予備校講師がわかりや…, 保元の乱とは誰と誰の戦い?平治の乱との違いや登場人物、原因、結果などについてわかりやすく解説!, 古代最大級の対外戦争である白村江の戦いとは?背景、原因、内容、影響などについてわかりやすく解説, https://www.google.com/analytics/terms/jp.html. 1764年、砂糖法が制定. 一冊でわかる 日本史&世界史 ビジュアル歴史年表 改訂新版 - 「わかる歴史年表」編集室 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も … 江戸時代の年表です。江戸時代とは西暦1603年から1868年までの265年間の時代を指す。徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた年から、徳川15代将軍の徳川慶喜が大政奉還により、幕府としての権限を朝廷に返上した年までの期間である。 「アメリカの歴史 - 世界史年表」ではアメリカの歴史を年代、時代別に分かりやすく分類しています。中学、高校、大学生の勉強から受験、大人の教養などの学習にご利用できます。 アメリカ合衆国の歴史(アメリカがっしゅうこくのれきし)では、アメリカ合衆国の歴史について述べる。, 北アメリカ大陸に最初に住んだ人々はアジア系のモンゴロイドである。彼らインディアンは氷期であったおよそ3万年前から1万年前にかけて、凍結したベーリング海などを渡ってシベリアからアラスカを経由して広大な南北アメリカ大陸各地に分散していった。こうした人々インディアンは母系社会による独自の文化を育んだが、広大な土地に比べれば、人口はごくわずかであった。インディアンによる統一したアイデンティティは発生せず、部族それぞれが独自の国家を形成する形で分散した。, なお10世紀末頃ノルマン人(ヴァイキング)の航海士レイフ・エリクソン率いる船団が北米へ達しアメリカ大陸を発見したとサガに記されている。一行は現在のカナダのバフィン島に到達し、そのまま南下をしニューイングランドからニューヨーク州一帯を新天地として「ヴィンランド」と名付け定住を試みたが、先住民のスクレリングと折り合いがつかず抗争へと発展し長続きはせず、十年ほどで放棄されレイフ・エリクソン一行は元の入植地であるグリーンランドへと戻ったとされている。, 現在では、カナダのニューファンドランド島で彼らの定住地跡であるランス・オ・メドーが発見され世界遺産に登録されるなど、彼らの存在は認知されることとなったが、当時彼らが新大陸に達したという情報はヨーロッパ諸国ではあまり知られておらず、定住が頓挫し領有もしなかったためアメリカ大陸の「白人初の発見者」とはされず、クリストファー・コロンブスほどの正当な評価を受けていないのが現状である。, 近世まで北米には中南米に匹敵するインディアン文明が存在しないとされていたが、近年発掘が進み、8世紀から16世紀頃まで続いたとされるミシシッピ文化の存在が、マウンド(土塁)群と呼ばれる墳墓遺跡によって確認された。そのうちもっとも大規模なものはイリノイ州セントルイス郊外のカホキアと呼ばれる大遺跡で、最盛期で1万人に達したとされている。この超巨大遺跡は、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録された。, イタリア半島を中心としたヨーロッパでルネサンスが花開いたこの時代、ポルトガルとスペインがいち早く遠洋航海技術を身に付け、大航海時代が幕をあけた。イタリア(ジェノヴァ)人クリストファー・コロンブスはスペイン女王の承諾を受け、大西洋周りによるアジア発見を志したが、1492年に西インド諸島に到達した。これに引き続き、1498年英国人ジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探検し英国がこれを領有(ニューイングランド植民地)、1534年フランス人ジャック・カルティエがセントローレンス川を遡ってこれをフランスが領有化(カナダ植民地)するなど、西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、インディアンに対する領土略奪と虐殺がはじまった。コロンブスの上陸を記念する「コロンブス・デー (10月第2月曜日) 」は、インディアン虐殺の象徴日として毎年、全米でインディアンたちが抗議行動を決行する日でもある。, 現在のアメリカ合衆国における植民地活動としての「開発」は、当初から多民族国家となる運命を辿るかの様に行なわれた。ヴァージニアやカロライナにはイギリス人(ニューイングランド)が、ルイジアナにはフランス人が(フレンチルイジアナ)植民地を築くなど、この「開発」は主にイギリス人とフランス人2つの民族によって行われた。しかし、それだけではなくニューヨークやニュージャージーにはオランダ人(ニューネーデルラント)が、デラウェアにはスウェーデン人(ニュースウェーデン)が、フロリダにはスペイン人(ヌエバ・エスパーニャ)が、それぞれ思い思いに今日のアメリカ合衆国の範囲に植民地を築いた。アメリカ東部には、すでに17世紀半ばに現在のアメリカ文化に繋がる欧米文化が移植されていたのである。, 宗教的に見ても、当初の移民はカトリックであったが、16世紀に欧州でプロテスタント(新教徒)出現と宗教改革、続いて宗教戦争が起こると、ピューリタン(清教徒)による1620年の移民(メイフラワー号)をきっかけとして、新天地を求めた新教徒が相次いで入植した。彼らは先発のカトリックやインディアンと敵対しながら勢力を伸ばし、1620年の移民は現在でもアメリカの新教徒の間で偉業として称えられている。しかし、インディアンたちからは民族虐殺の始まりとして「ピルグリム・ファーザーズの感謝祭」には、大規模な抗議が行われている。, 西欧人は植民地で砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどの農作物を農園で作り出したが、労働者の不足に悩まされた。西欧人はインディアンを奴隷化し、またこれと同じ時期にアフリカ大陸の大西洋沿岸にも進出し、現地のアフリカ諸部族の黒人有力者から黒人を買い取り、南北アメリカ大陸に輸出した(奴隷貿易)。それと交換に進んだ火器や、当時進出していたインド産の木綿をアフリカ諸国の黒人有力者に売った。ただ、誤解が多くあるが、植民地時代の奴隷需要はカリブ海地域および中南米が圧倒的であり、北米への奴隷輸出は多くない。18世紀はもっぱらサウスカロライナ州を中心に、インディアン奴隷の売買が盛んであった。奴隷制度によって維持されるアメリカ南部の広大なプランテーション農業が盛んになったのは、19世紀に入ってからである。, 17世紀から18世紀にかけて、英仏がヨーロッパにおいて戦争をするたびに、英国からの植民団が建設したニューイングランド植民地と、フランスからの植民団が建設したカナダとが対立し、植民地でも戦争が起こった。この一連の北米植民地戦争は1700年のスペイン継承戦争によって端を発し、七年戦争・フレンチ・インディアン戦争によって英国が勝利する1763年まで続き、この戦争中に英国は次々とフランス・スペインの植民地を獲得、また南部に広がるスペイン植民地への奴隷専売権を得た。こうして英国は北米大陸の大西洋沿岸をほぼ全て手中に収め、イギリス海上帝国、つまり大英帝国の礎を築き上げた。インディアンたちは英仏どちらにつくかを選択させられ、代理戦争を引き受けさせられた。そしてどちらが勝っても彼らの領土は没収され、部族は散り散りにさせられた。, 北米東海岸を一手に握った英国は、先住民インディアンを駆逐して領土を西へ拡大した。この段階で13州の植民地を建設し、州によっては白人の人口がインディアンを上回る地域が生まれた。, 18世紀にはいると、寒冷で比較的農業に向いていなかった北東部で醸造、造船、運輸などの産業が発達し、英国本国の経済を圧迫するようになった。元々、新教徒が多数派を占める植民地とイングランド国教会の本国は軋轢があったが、この頃には精神的に本国と分離しており、経済的にも自立できる力を持っていた。, 英国はかねてから「羊毛品法」や「鉄法」によって植民地での工業発展を妨げ、英国以外との独自貿易を禁じてきたが、ここでさらに重商主義政策を敷くことでさらに植民地を圧迫した。また、フランスとの長い戦争中で必要となった自国軍の駐屯費や戦費を拠出するため植民地住民に対して重税を課し、「印紙法」によって貿易独占を企てた。住民が反課税と印紙法廃止を主張して1765年に激しい反対運動を展開したため英国は翌年これらを撤廃したが、今度は「茶法」によって茶の貿易を独占しようとした。対して住民は1773年にボストン港を襲撃、ボストン茶会事件となった。, 茶会事件に衝撃を受けた英国はボストン港を閉鎖、住民に対して強硬な姿勢を示した。ここにおいてアメリカ大陸13州の住民代表者はフィラデルフィアで史上初めての大陸会議を開き、植民地の自治権を求めて英国に対して反抗、1775年4月、英国の駐屯兵と住民有志による民兵が衝突(レキシントン・コンコードの戦い)し、アメリカ独立戦争となった。住民代表者は第2次大陸会議を開催、ジョージ・ワシントンを戦争の総司令官に任命して大陸軍を結成、1776年7月4日の大陸会議において、トーマス・ジェファーソンが起草し、プロテスタント的思想を体現して近代民主主義の原点となったアメリカ独立宣言を発表した。また、英国は1660年代から囚人の流刑地としてアメリカを利用していたが独立戦争が始まったことにより巨大な流刑地を喪失し刑執行が困難になり、これが新たな流刑植民地としてのオーストラリアの歴史へとも繋がっていく。, ジェファーソンは1778年にデラウェア州でデラウェア族と「インディアン条約」を初めて結び、以後、合衆国はインディアンから武力を背景に領土を購入し、彼らを保留地(Reservation)へ追いやるという政策を推し進めていく。インディアンには土地を売り買いする文化は無かったので、これが理解されたとは言い難く、数々の「インディアン戦争」に結びついた。そして必ずその結果はインディアンの領土のさらなる縮小となった。, アメリカ独立戦争はフランス、スペインの軍事的支援を受けたアメリカ軍の優勢で進んだ。またロシア帝国エカチェリーナ2世皇帝は他のヨーロッパ諸国に呼びかけ、武装中立同盟を結んだ。このために英国は外交的にも軍事的にも孤立、次第に劣勢は明らかとなり、1781年にヨークタウンの戦いで敗れると、独立容認を叫ぶ声が自国内でも高まり、1783年にアメリカに対してパリ条約を結んだ。これによって大陸13州は完全に独立し、ミシシッピー川以東の広大な英国領ルイジアナ植民地を獲得した。, しかし13州合衆国はまだ緩やかな連合体に過ぎず、内外に対する政策は州ごとに異なって混乱をきたした。そこで強力な統一政府を作ろうという運動が起こり、1787年にフィラデルフィアで憲法制定会議が開催された。ここにおいて主権在民の共和制、三権(立法・司法・行政)分立、連邦制を基本とするアメリカ合衆国憲法が制定され、現代に至るアメリカ合衆国(首都ニューヨーク)が誕生した。しかし、この憲法に対する批判運動が各州に起こり、憲法容認の連邦派と憲法反対の反連邦派が抗争を繰り返すこととなったが、これが後の政党となった。憲法に基づいた最初の大統領選挙によって、1789年、初代アメリカ合衆国大統領にジョージ・ワシントンが就任した。なお、日本語で大統領と訳されるプレジデントは、当時はアメリカ合衆国議会の前身である連合会議議長の肩書きとして使われていたものであり、執行権の無い親分的な意味合いしかないものだった。ワシントンは新しい共和国がヨーロッパの帝国の模倣にならないよう国王や皇帝との違いを表す為に、ミスタープレジデントという呼称を好み、最高執行権者となった大統領にそのような特別な権威がないことを印象付けさせたものである.
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