第092回(1985年) ギャロップダイナ 第154回(2016年) モーリス 【天皇賞春】 前年覇者・フィエールマンは消す。 前年覇者の連覇はメジロマックイーンに戻ればいい。 マックイーンは天皇賞春を勝ったあと 対のg1・天皇賞秋を1番人気で18着降着 翌年、前哨戦の阪神大賞典を1着 という道を辿り連覇。 メジロマックイーン、メジロライアン、メジロパーマーの. 第013回(1943年) クリヒカリ パトロールビデオを見ると、7枠13番と外目の枠からスタートしたマックイーンは、2コーナーで内側に斜行し、内側の馬がつられて内側に切れ込み、結果として18着だったプレジデントシチーが挟まれて落馬寸前だったことがよくわかります。 第104回 天皇賞(だい104かい てんのうしょう)は、1991年 10月27日に東京競馬場で行われた日本中央競馬会(jra)主催のgi競走である。 メジロマックイーンが1位入線したが、競走中に他馬の進路を妨害したことにより18着に降着となり、2位入線のプレクラスニーが繰り上がりで優勝。 第074回(1976年) アイフル 第022回(1950年) ヤシマドオター 第046回(1962年) クリヒデ 第050回(1964年) ヤマトキヨウダイ 第098回(1988年) タマモクロス 第116回(1997年) エアグルーヴ メジロライアン(1987年 4月11日 - 2016年 3月17日)は、日本の競走馬、種牡馬。. 父 メジロ ティ ターン 母 メジロ オーロラ 母 父リマンドという血統。 半兄に菊花賞・有馬記念を勝利したメジロデュレンがいる。 メジロ 牧場は天皇賞(しかも3200mの)制覇を最大目標としており、特にメジロ 牧場 社長だった北野豊吉が「ティ ターンの子で天皇賞に勝て! 第100回(1989年) スーパークリーク 天皇賞当日は22だがマックイーンに指名されたのは21だよ 武は3月生まれだからな 37: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2017/11/04(土) 10:15:30.60 ID:DMB9IfL80 第134回(2006年) ダイワメジャー 通算成績 21戦12勝 重賞9勝(菊花賞GⅠ・天皇賞(春)GⅠ2回・宝塚記念GⅠなど), 幼いころは体質が弱く、デビューも4歳(現3歳)の2月と遅く、新馬勝ちしたもののデビュー前からの骨膜炎に悩まされて、春のクラシックは休養にあてられました。, 9月に復帰してからは徐々に頭角を現して、重賞初挑戦の菊花賞を勝ちGⅠ馬になります。, 天皇賞(春)3連覇はライスシャワーに阻まれましたが、通算21戦12勝、3着を外したのはジャパンカップの4着と降着になった天皇賞(秋)の2回だけと、非常に安定した走りを見せてくれた馬でした。, メジロマックイーンと言えば天皇賞3代制覇とともに語り継がれているのがこの1991年の天皇賞(秋)の降着事件です。, 重馬場で行われたこのレース、マックイーンは好位を進み直線半ばで先頭に立ち、6馬身差の圧勝で勝利しました。, ところが、レースが審議になり、約15分後にマックイーンはGⅠ史上初の1着降着(18着)になるのです。, パトロールビデオを見ると、7枠13番と外目の枠からスタートしたマックイーンは、2コーナーで内側に斜行し、内側の馬がつられて内側に切れ込み、結果として18着だったプレジデントシチーが挟まれて落馬寸前だったことがよくわかります。, これにはいろいろな意見があり、「降着やむなし」という声が多い中、繰り上がり1着になったプレクラスニーの江田照騎手の騎乗にも問題があったという意見や、被害馬が落馬してないのだから、過怠金と騎乗停止で済ませるべき、などいろいろな見解がありましたが、個人的には府中の2000mの独特なコース形態が問題ではなかったかと思います。, ただ、当レースで不利を受けた岡部幸雄騎手や南井克己騎手といったベテランジョッキーも不満を露わにしており、当の武豊騎手はパトロールビデオを見せられるまで自分に非はないと思っていたあたり、武さんもまだ若かったのかなあという感想もあります。, 僕はこのレースをテレビ中継で見てましたが、着順うんぬんよりもマックイーンの「あきれる強さ」を見せつけられたレースだったと思います。, これを使った後に天皇賞(秋)に向かう予定でしたが、直前に故障発症でそのまま引退になったからです。, 京都2400mで59kgを背負ってしかも7歳(現6歳)の秋に2.22.7というレコードは凄いの一言。, 2000年にサンエムエックスにコンマ1秒更新されましたが、今でも京都2400mで2.分22秒台はめったに見ません。, 衰えを知らないマックイーンの雄姿をもう少し、そして、正々堂々と天皇賞(秋)を勝つ姿を見たかったですね。, これは余談ですが、マックイーンというと長距離型・ステイヤーと見られますが、実は年齢を重ねるごとに、他の馬とは逆にレースでの落ち着きを失っていったそうです。, ですので武豊騎手は、「マイルでも走ったと思う」と言っていたそうです。(ウィキペディア参照), 引退後社台スタリオンステーション早来で種牡馬となったマックイーンですが、初年度こそ100頭近くの種付けを行いましたが、産駒が思ったより走らず、ライバルであるメジロライアン(初年度産駒からGⅠ馬2頭)には差を付けられました。, 牝馬が圧倒的に多く、牡馬の重賞ウイナーがホクトスルタンだけというのは寂しいですね。, これは父ステイゴールド、母父メジロマックイーンの配合で大物が出ているので注目される配合です。, 前述したように、母父(BMS)としてのマックイーンは、種牡馬時代より成功していると言えるでしょう。, また、今年度デビューした2歳馬では、ウインガナドルが勝ち上がっていますし、オルフェーブルの全弟になるオルファンもデビュー間近です。, 僕が競馬を始めたころにちょうど菊花賞を勝ったのがこの馬だったので、常にライブでマックイーンの走りは見てきました。, 抜群の安定感に、馬券的妙味はありませんでしたが(笑)、とにかく「強いな~」という印象が今でも残っています。, 以前どこかで聞いた話なのですが、マックイーンの走り方は、「競走馬の理想の走り方」なのだそうです。, 才能開花は遅くなりましたが、常にレースで「強さ」を見せつけたマックイーン、2006年に20歳で亡くなってしまったのは残念ですし、既に母父としてしか血は残せませんが、これからもオルフェーブルやゴールドシップのような馬を世に送り出してもらいたいと思います。, JRAカードを発行すると、インターネットからJRA競馬場指定席が先行予約可能なJRAカード会員に登録可能です。JRAカードを持っていない一般会員よりも一週間早く予約でき、JRAカード会員のみ申し込める先行抽選に加え、一般抽選にも申し込めるので抽選チャンスが1回から2回に増えます。JRA競馬場の指定席をより確実に確保したい方にはおすすめです。, 初年度の年会費は無料(次年度以降1,375円(税込))で、カードデザインはシンプルなJRAロゴもしくは名馬11頭のデザインから選ぶことができます。ネットからすぐに申し込めるので、「JRA指定席の予約がしたい」「JRA指定席の当選確率を上げたい」という方はぜひ以下の記事を参考に申し込みをしてみてください。, >> 名馬11頭のデザインから選べる!JRAカード(クレジットカード)競馬ファンが嬉しい特典2つ. 天皇賞当日は22だがマックイーンに指名されたのは21だよ 武は3月生まれだからな 37: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2017/11/04(土) 10:15:30.60 ID:DMB9IfL80 関係者のインタビューやメジロ王国の血統など、関連情報も収める。 内容(「Oricon」データベースより) 通算21戦12勝、春の天皇賞2連覇、G14年連続優勝などで初の10億円獲得した名馬メジロマックイーンの全試合を収録した映像作品。 第152回(2015年) ラブリーデイ 「天皇賞秋 2016」のパトロールビデオ・レース後のコメントです。天皇賞秋の勝ち馬は1番人気のモーリス、勝利騎手はr.ムーア騎手、勝ちタイムは1:59.3でした。 同世代g1馬3頭はすでに引退してて、 ビデオ等でしか見れなかったん … 第150回(2014年) スピルバーグ 中央競馬クラシック三冠競走で惜敗を続けたのち、1991年の宝塚記念に優勝。 大物感を漂わせる馬体や、反面の惜敗の多い成績から女性ファンを中心として人気を博した。 第160回(2019年) アーモンドアイ 第068回(1973年) タニノチカラ 名馬11頭のデザインから選べる!JRAカード(クレジットカード)競馬ファンが嬉しい特典2つ, シンボリクリスエス 〜 ピークを越えた競馬ブームの裏で着実に結果を残した名馬の魅力 〜, メイショウドトウ!テイエムオペラオーの最大のライバルとして君臨した名馬の生涯に迫る. 第044回(1961年) タカマガハラ 第001回(1937年) ハツピーマイト 第130回(2004年) ゼンノロブロイ 2019年 天皇賞(秋)全周パトロールビデオ 【LIVE】中山競馬場 第63回有馬記念G1芝2500M★現地スタンドの生声援がすごい! 2018.1.6.中山金杯.現地パドック映像、レース映像 第088回(1983年) キョウエイプロミス Copyright (c) keibainfo.jp, All Rights Reserved. 第114回(1996年) バブルガムフェロー 第110回(1994年) ネーハイシーザー, 第112回(1995年) サクラチトセオー 第118回(1998年) オフサイドトラップ 第144回(2011年) トーセンジョーダン 第096回(1987年) ニッポーテイオー 第138回(2008年) ウオッカ 第140回(2009年) カンパニー 第122回(2000年) テイエムオペラオー 第142回(2010年) ブエナビスタ 第003回(1938年) ヒサトモ 第024回(1951年) ハタカゼ 第076回(1977年) ホクトボーイ 第020回(1949年) ニユーフオード メジロマックイーンの天皇賞(春)のCM. 第032回(1955年) ダイナナホウシユウ 第009回(1941年) エステイツ 第052回(1965年) シンザン 第007回(1940年) ロツキーモアー 第090回(1984年) ミスターシービー 同世代g1馬3頭はすでに引退してて、 ビデオ等でしか見れなかったん … 第102回(1990年) ヤエノムテキ 第128回(2003年) シンボリクリスエス 国際競走指定後: 第026回(1952年) トラツクオー メジロマックイーン生涯唯一の入選外のレース1991年「天皇賞秋」当時どんな雰囲気だったのか…?ウマ娘プラスはウマ娘 プリティーダービーに関する情報・ニュースを随時配信中です!人気記事『ウマ娘』メジロマックイーン生涯唯一の入選外の1991年天 メジロマックイーン、メジロライアン、メジロパーマーの. 【競馬】安田記念パトロールビデオが酷すぎる【斜行・武豊】動画有 Advertisement 1: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2019/06/02(日) 16:16:49.69 ID:trI/Ei7z0 第126回(2002年) シンボリクリスエス 第060回(1969年) メジロタイヨウ その天皇賞・春の開催週に解散発表とは・・・ σ(´ω`*)が競馬を見始めた頃は. 天皇賞当日は22だがマックイーンに指名されたのは21だよ 武は3月生まれだからな 35 : 名無しさん : 2017/11/04(土)10:11:18.10 ID: LgMBGwpx0.net 第120回(1999年) スペシャルウィーク 第158回(2018年) レイデオロ 第148回(2013年) ジャスタウェイ この秋の天皇賞の一戦 はビデオに録画していましたが、いまだに気持ちの整理がつかずに見るこ とができません。 (KEIBA通信編集部) 97年 天皇賞(春) マヤノトップガン 3強の強さのぶつかり合いを、最後の直線で感じたから。 第011回(1942年) ニパトア 第036回(1957年) ハクチカラ 第084回(1981年) ホウヨウボーイ 第005回(1939年) テツモン 第082回(1980年) プリテイキャスト 第106回(1992年) レッツゴーターキン 第058回(1968年) ニットエイト 第038回(1958年) セルローズ 第066回(1972年) ヤマニンウエーブ メジロドーベルは1994年5月6日生まれ、鹿毛の牝馬の競走馬です。父はメジロライアン、母はメジロビューティー。 主な勝ち鞍は1996年阪神3歳牝馬ステークス、1997年オークスと秋華賞、1998年・1999年のエリザベス女王杯。 第080回(1979年) スリージャイアンツ 第070回(1974年) カミノテシオ 第040回(1959年) ガーネツト 第018回(1948年) カツフジ 第034回(1956年) ミツドフアーム 第140回(2009年) カンパニー 11 R 第129回天皇賞(春)(G1) 芝右 外3200m / 天候 : 曇 / 芝 : 良 / 発走 : 15:40 過去の天皇賞(春) 2004年5月2日 3回京都4日目 4歳以上オープン 牡・牝(指)(定量) 第158回(2018年) レイデオロ 第132回(2005年) ヘ … 第028回(1953年) クインナルビー マックイーン、ライスから受け継がれた王道ステイヤーの完成形それがキタサンブラック: 2018/08/11 22:05:17: 03:25 ↓サイボーグレベルの精密なペースコントロールじゃねーか: 2018/08/11 22:06:58: 05:25 メジロマックイーンは芦毛怪物伝説の後継者筆頭かも知れませんね。何しろこの馬は勝つときは豪快でした。現役の活躍後に種牡馬になるのですが思ったほど活躍馬は出ません… 第086回(1982年) メジロティターン 第146回(2012年) エイシンフラッシュ その天皇賞・春の開催週に解散発表とは・・・ σ(´ω`*)が競馬を見始めた頃は. 第018回(1948年) カツフジ 第078回(1978年) テンメイ 1991'/09/27 天皇賞・秋1番人気は菊花賞馬メジロマックイーン。確か単勝1.8倍。嫌な雨☔の日⤵28年も前の話。 第062回(1970年) メジロアサマ 概要. 第034回(1956年) ミツドフアーム 第042回(1960年) オーテモン 第104回天皇賞 メジロマックイーンの降着 入線後に武はガッツポーズを見せ、そのままウイニングランを行った[5]。正面スタンドに帰って来た際には何度もガッツポーズを繰り返し、観衆に向けてゴーグル … 第016回(1947年) トヨウメ ライスシャワー復活の天皇賞(春)です。 「ブルボンもマックイーンも応援している~」 「やっぱりこの馬は強いのか~」 杉本さん、いいこと言いますね。ホントに。 第136回(2007年) メイショウサムソン 第124回(2001年) アグネスデジタル 天皇賞秋2020の結果・動画をまとめた記事です。 ... 2012年の桜花賞のCMにはメジロラモーヌがピックアップされています。桜花賞は2012年4月8日(日)、阪神競馬場・芝1600mで開催されます。 ... パトロールビデオ; 第156回(2017年) キタサンブラック 第094回(1986年) サクラユタカオー 第064回(1971年) トウメイ 第072回(1975年) フジノパーシア 第162回(2020年) アーモンドアイ, 「あのときは外から豊さんが寄ってきたから、僕も声を出しましたよ。『オーッ』てね。プレクラスニーは無理に抑えると逆にカーッとしてしまう馬なんです。調教師から行くように言われていたこともあったし、馬の気性を考えると抑えるわけにはいかない。おまけに馬体を(他馬に)くっつけても引っ掛かってしまう, パトロールビデオ=コース外側の各所に設置されたパトロールタワー(監視塔)から記録された俯瞰の映像。パトロールフィルムとも呼ぶ。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=第104回天皇賞&oldid=80504838. メジロマックイーン天皇賞秋降着事件について語ろう [転載禁止]©2ch.net 1 : 名無しさん@実況で競馬板アウト :2015/10/22(木) 01:17:17.92 ID:ozvb4ONE0 一番悪いのは誰だったの? 第132回(2005年) ヘヴンリーロマンス ... メジロマックイーン降着パトロールビデオ 第104回天皇賞(秋) - Duration: 0:25. 第104回 天皇賞(だい104かい てんのうしょう)は、1991年10月27日に東京競馬場で行われた日本中央競馬会(JRA)主催のGI競走である。メジロマックイーンが1位入線したが、競走中に他馬の進路を妨害したことにより18着に降着となり、2位入線のプレクラスニーが繰り上がりで優勝。日本のGI競走における1位入線馬降着の最初の事例となった。, 東京競馬場は朝からの激しい雨で不良馬場での競走となった[1]。1番人気は当年の天皇賞(春)を制し、本競走への前哨戦となる京都大賞典を勝ったメジロマックイーン(武豊騎乗)で、単勝オッズは1.9倍と高い支持を受けていた[2]。以下、GI競走での好走歴が多かったホワイトストーンが2番人気、前走・毎日王冠を制してここに臨んだプレクラスニーが3番人気に支持され、ここまでが一桁台の単勝オッズを示していた。, スタートが切られると、メジロマックイーンとムービースターが好スタートを見せ、この2頭が前に出た状態で最初のコーナー(第2コーナー)に入った。ここでメジロマックイーンが内側に進路を取りながらコーナーを回ると[4][5]、その脇を走っていたプレクラスニーが押圧され、さらに煽りを受けたメイショウビトリア、プレジデントシチーらの進路が狭まり、馬群が一時混乱[6]。場内の電光掲示板に競走後の審議を示す青ランプが点灯したが、ファンや関係者、記者などが見守る観戦スタンドからは馬群の混乱は遠目に見えたものの、原因などの詳細は判別できなかった[1][6]。第2コーナーを抜けると、プレクラスニーが先頭に立ち、続いてホワイトストーン、メジロマックイーンの順でレースが進んだ[1]。, 最終コーナー(第4コーナー)を回って最後の直線に入ると、スパートをかけたメジロマックイーンが逃げ粘りを図るプレクラスニーを一気に交わし、そのまま大きく差を広げていった[2]。ゴールではメジロマックイーンがプレクラスニーに6馬身差を付けて1位で入線[5]。さらに3/4馬身差の3着にカリブソングが入った。, 入線後に武はガッツポーズを見せ、そのままウイニングランを行った[5]。正面スタンドに帰って来た際には何度もガッツポーズを繰り返し、観衆に向けてゴーグルを投げ入れるパフォーマンスも行なった[6]。なお、入線後の向こう正面では、メジロマックイーンが審議対象であることを見越した柴田政人(カリブソング騎乗)が、「おいユタカ、ウィニングランはするなよ」と声を掛けていた[7]。, その後検量室奥のビデオ室において、第2コーナーでメジロマックイーンが内側に入ろうとした際、プレクラスニー以下5頭の進路が狭くなった事について、該当者に対する事情聴取が行われた。まずプレジデントシチーに騎乗していた本田優がビデオ室に入り、両側から挟まれて行き場がなくなったと証言[8]。続いて呼ばれたメイショウビトリア騎乗の岡部幸雄も同様の証言をした[8]。プレクラスニー騎乗の江田照男は、第2コーナーでメジロマックイーンに押圧された場面について「寄られました」と述べ、もっと外には行けなかったかという質問に対しては、「僕も内から声を掛けたし、何とも……」と答えた[9]。聴取を終えて江田が部屋を出るとき、裁決委員のひとりが「降着だな……マックイーンは」と呟いたという[9]。最後に呼ばれた武は興奮しながら斜行を否定していたが、裁決委員から「明らかに内の馬を押圧して進路を妨害している」とパトロールビデオ[注 1]を見せられると、押し黙った[10]。, 聴取の終了後、検量室に出てきた裁決委員がメジロマックイーンの18着降着とプレクラスニーの繰り上がり優勝を告知し、GI競走史上初となる1位入線馬の降着が確定した[11]。競走後15分後の事であった[6]。降着理由はメイショウビトリア(16位入線)、プレジデントシチー(18位入線)およびムービースター(10位入線)に対する進路妨害で、武に対しては開催6日間の騎乗停止も科せられた[12]。本田優は後に「後ろに弾かれた時に、メジロマーシャスにぶつからなければ落ちてたでしょうね。本当に危なかった。レースが終わってから『お前、よく落ちなかったな』とある騎手に言われましたよ」と振り返っている[13]。, 繰り上がり優勝の江田は、武が保持していた秋の天皇賞史上最年少制覇記録を更新した(19歳8ヶ月)。, 処分の発表後、武は「悪い事をしたと思ったら、ガッツポーズもウイニングランもやりません。裁決室に呼ばれて、パトロールフィルムを見せられて、そこで自分の非に初めて気付いたんです」と弁明した[6]。一方、メジログループ総帥の北野ミヤは処分および裁決委員の北野への口の利き方に対して激怒し[14]、以降に続くジャパンカップ、有馬記念への出走拒否と、処分取り消しを求める提訴を示唆したが[15]、両競走への出走を強く望む競馬ファンからの声などもあり態度を軟化させ、メジロマックイーンは両競走へ出走し、提訴も行われなかった。, 枠番連勝は降着の影響を受けなかったが(メジロマックイーンと繰り上がり2着のカリブソングが同枠)、この年に導入された馬番連勝は高配当となった。, 武の騎乗に対しては競走直後より騎手の間から不満の声が上がり、検量室内ではカミノクレッセ騎乗の南井克巳や、リストレーション騎乗の的場均ほか数々の騎手が、自らが受けた不利を大声で話し合う様子が見られた[16]。メイショウビトリア騎乗の岡部幸雄は怒りを露わにし、記者に対し「ユタカは失格だな。危ねえったらありゃしねえ。後ろの馬は競馬になんねえよ」と口にした[17]。また、被害を受けた騎手たちが「あれだけの反則を処分しないなら、みんなで異議申し立てに行くぞ」と息巻く場面もあった[6]。, パトロールビデオを見た作家の岩川隆は、「これは降着も仕方がないよ、武豊君、なぜ"焦った"のだ、ひどい、というのが実感だった。私も長いあいだ競馬場に通っているが、これだけの大レースで、これだけ多頭数の馬たちが、"斜行"のあおりをくらって一頭は落馬寸前になるような光景を見たことがない。残念ながら武豊騎手のミスだろう」と述べている[18]。競馬評論家の山野浩一は、メジロマックイーンが内へ切れ込んだ後に、好位を取った武はハイペースと見てスピードを落とし、他馬の騎手は引き続きポジションを取ろうと加速していた点に着目し、「インに入り、スピードを押さえ、そこがカーブであったという3つの条件が重なって起きたインターフェアであった」と分析している[19]。さらに山野は「武騎手にはある程度不運な降着だったとは思うが、だからといって全く予測できないインターフェアでもなかっただろう。武騎手に限らず多くの騎手に一つの教訓を残し、競馬学校で教えることが一つ増えたインターフェアでもあった」とも評した[19]。いっぽう、メジロマックイーンのファンである大学教授の植島啓司は、「何度ビデオを見直しても、武豊の選んだコースだけを見ると、ごく普通のものである。あれより外に走ったら、ほとんど逸走に近い。インがごちゃついたのが不運だった。そうとしか言いようがない。インに入るのが1秒早かったというのは結果論だ」と武を擁護している[20]。, 一方、大きな混乱には江田の騎乗にも一因があると説く者もいた。競馬評論家の大川慶次郎は次のように述べている。, また、日刊スポーツ記者の松田隆は、「仮にそこで江田騎手が引いていたら、恐らくプレジデントシチーが弾き飛ばされることもなく、武豊騎手は過怠金1万円程度で済んでいたかもしれない」と述べている[22]。さらに、武と親しいライターの島田明宏は、武が進路妨害に至った「誤算」のひとつとして、「自分の内から強引に上がっていったプレクラスニーの騎乗者が血気盛んな若者であることを、さして気に留めていなかったこと」という点を挙げている[23]。, 江田は競走前、管理調教師の矢野照正から道中先頭でレースを進めるよう指示を受けており、第2コーナーでの騎乗について次のように説明している。, 松田隆はこうした事情を踏まえ、「デビュー2年目の江田騎手にとって、調教師の言葉に背き、しかも斜行して進路をふさいできた大本命のマックイーンに進路を譲るようでは、勝負師として失格のらく印をおされる」と江田を擁護している[22]。, 圧倒的な強さを見せた1番人気馬の最下位降着ということもあり、その処分については、厳正な制度適用を評価する意見と、厳し過ぎるという意見が混在していた。, 山野浩一は、従来の競馬会の処分について「メジロマックイーンのような人気馬で、しかも天皇賞のような大レースの場合は、いわば政治的判断で騎手を罰しても、着順にはタッチしなかったと考えられる部分がある」としたうえで、「競馬会が何よりもファンや関係者の良識を信じ、ルールの厳格な適用に踏み切ったのは一大ヒットと言える」と評した[19]。また、岩川隆は、「この"斜行"が不問に付されていたら、かえって大問題に発展していたことだろう」、「このたびの毅然とした裁決は、今後も同じように公正であることを願うとともに、かなしい出来事として受けとめるしかない」と述べている[18]。翌日この件を一斉に報じたスポーツ新聞各紙も、競馬会に対しては概ね好意的であった[24]。年末の東京競馬記者クラブ賞の選考の席上では、冗談交じりながら本競走の裁決委員の名を挙げる声もあった[25]。, 否定的な意見では大川慶次郎が前述のような批評を行っているほか、植島啓司は、「メジロマックイーンの優勝だけは、最低限認めてほしいところだった。どんなに正しい裁定であるにせよ、ほとんど全ての人が納得いかないでいるのは、やはり異常ではないか」と疑問を呈した[20]。また、プレクラスニーの生産者である嶋田克昭は、「表彰台に立っている人間はみんな顔がひきつってました。スタンドにただよっている何とも言えない雰囲気を一身に感じ、自分も本当に強いのはメジロマックイーンだと分かっているだけに、よけい辛かった。表彰台に立っている時間が、いかに長く感じられたことか。1時間にも2時間にも感じられた。この気持ちの複雑さはしばらく晴れそうにない。2着で良かったんですよ。その方が気分は楽でした」と述べている[6]。, 以前から東京競馬場・芝2000mのコースには、外枠発走馬の不利と、外枠に強力な先行馬が入った場合の最初のコーナーにおける混雑の危険性が騎手からも指摘されていた[26]。マックイーンの降着に批判的だった植島啓司は、「騎手たちが怒るんだったら、府中の二〇〇〇メートルではもう競馬はできない、と言った方がいい。あの第2コーナーが直角にカーブしている変則コースでは、いままでにも数多くのトラブルがあった。それを今後は絶対に許さないというのだったら、仕方がない。マックイーンは運が悪かったのだ」と述べた[20]。このコース形態の問題は、天皇賞(秋)の距離が3200mから2000mに短縮される前年(1983年)に、日本中央競馬会の内部で発足した「競馬番組研究会」の席上で指摘され、そうしたコースで天皇賞を行うことに疑問の声が出ていたが、「研究会は距離体系の見直しする場でコース云々の議論は適当ではない」という意見に流されて終わっていた[27]。東京競馬場は2002年から全面改修が行われ、2000mコースにはスタート地点から最初のコーナーまでに新たに約100mの直線が設定されたが、外枠不利の問題は依然として解消されていない[28][29]。また、メジログループ総帥の北野ミヤは、競馬会の処分と非礼に硬化させた態度を緩める過程で「東京2000mでの最大出走頭数を減らして欲しい」と強く要望したが[14]、これは実現していない。, また、日刊競馬編集長の柏木集保やサンケイスポーツ記者の片山良三は、審議となったレースについて降着・失格が無かった場合にはパトロールビデオが公開されないことについての不満を表明し、制裁が行われる例とそうでない例の間に存在する判断基準が不明瞭であると批判した[30][31]。パトロールビデオ公開については、1999年より処分の有無に関わらず審議対象となった競走は競馬場内で公開、2004年からはJRAのホームページにおいても閲覧が可能となった。, 国際競走指定前: パトロールビデオを見ると、7枠13番と外目の枠からスタートしたマックイーンは、2コーナーで内側に斜行し、内側の馬がつられて内側に切れ込み、結果として18着だったプレジデントシチーが挟まれて落馬寸前だったことがよくわかります。 第054回(1966年) コレヒデ, 第056回(1967年) カブトシロー 第030回(1954年) オパールオーキツト 第108回(1993年) ヤマニンゼファー 第104回(1991年) プレクラスニー メイショウサムソンが天皇賞秋勝った時のパトロールビデオは笑った 69: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2018/08/18(土) 12:47:46.44 ID:6mIJRZII0 ダノンバラード@AJCC 第048回(1963年) リユウフオーレル
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