2016年にはオバマ大統領(当時)がアメリカの現職大統領として初めて原爆ドームを訪問し、大きな感動を呼びました。 被曝直後の姿のまま立ち続ける現場ドームは、正式には広島平和記念碑という名称で、周辺に平和記念公園や原爆の子の像などがあります。 We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner. We listen to a silent cry. Those who died, they are like us.Ordinary people understand this, I think. That is why we come to this place. Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.We listen to a silent cry. We’re not bound by genetic codes to repeat the mistakes of the past. フォートラベルポイントって?, おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします! They do not want more war. That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it. Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction — how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will — those very things also give us the capacity for unmatched destruction. Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. All men are created equal and endowed with certain inalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. We must change our mindset about war itself — to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they’ve begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build; and perhaps above all reimagine our connection to one another as members of one human race — for this too, is what makes our species unique. これこそが、私たちの種の特別さなのです。, 私たちは”同じ過ちを繰り返す”などという遺伝子コードに縛られている訳ではありません。私たちは学べるのです。選択できるのです。子どもたちに異なる物語を伝えることができるのです。共通の人間性を。価値観を。戦争のない、残酷な行いが許されることのない世界の物語を。, 私たちはこの物語を被爆者たちに見ることができます。戦争そのものを憎むべきだと気付きながらも、原爆を落としたパイロットを許した女性。家族を無くした悲しみは、自分もアメリカ人も同じだと信じ、広島で死んだアメリカ人家族を探した男性。, 我が国アメリカは、このようなシンプルな言葉で始まりました。「全ての人々は平等に創られ、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」。アメリカ国内、アメリカ人同士であってさえも、この理想への道は厳しいと気付きながら。しかしこの理想は大陸や海を越えて共有されるものであり、努力をして得る価値があるものです。, どの人にもそれぞれ価値があり、誰の命も貴重なもの。私たちは人類という家族の一員なのです。このことこそ、私たちが伝えていかなければならない物語なのです。, これがここ広島に来る理由なのです。愛する人を想うことができるように。我が子の朝一番の笑顔。キッチンデーブルから差し伸べる妻の優しい手。安堵を与える両親の抱擁。, 私たちはそれらの貴重な時間が71年前のここ広島にも存在していたことに、想いを馳せることができます。亡くなったのは私たちとなんら変わらない同じ人であり、これ以上戦争を起こすべきではないと理解しているはずです。科学は生活を豊かにすることに注力するべきであって、生活を脅かすものであってはならないと。国家によって選択がなされる時、リーダーによって選択がなされる時、このシンプルな見識が反映されれば、広島の教訓は活かされたと言えるでしょう。, ここで世界は永遠の変化を迎えましたが、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができるのです。それはなんとも素晴らしいことでしょう。守るべき価値があり、全ての子どもたちに伝えるべき貴重なことです。これは私たちが選択し得る未来であり、広島・長崎が原爆戦争の始まりではなく、道徳的目覚めとして知られるべき未来なのです。, [/wc_column] The wars of the modern age teach us this truth. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. 何故、オバマ大統領は原爆投下の是非には触れず、謝罪もしなかったのでしょうか。 約17分間のスピーチはがっかりいたしました と共に、17分間ものスピーチは、時間のロスにも思われました もっと、簡潔に最たる思いを告げて欲しかったです 私には、何も感じられなかったのだろうか? スピーチ・ライターが書いた5分程度のスピーチを、17分にも及ぶ内容に変えたのは、オバマ氏自身である。スピーチの原文の書き起こしを何度も読んでみる。いくつかひっかかる点がある。まず広島の原爆...オバマ大統領、広島スピーチ再考 When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done. It fuels our moral imagination, it allows us to change. That memory allows us to fight complacency. 71 years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. Their souls speak to us. - 2016年5月27日、オバマ大統領が歴代のアメリカ大統領として初の広島訪問を実現させました。その際平和記念公園で行ったスピーチでオバマ大統領は、日本への哀悼の意を示しただけではなく、日本とアメリカの平和、世界の平和、核の抑止・廃止を強く訴えました。世界で唯一原爆を落とした国の大統領が、世界で唯一原爆を落とされた国でこのようなスピーチを行うことは、まさに歴史的な出来事だと言えるでしょう。, オバマ大統領といえば、言わずと知れたスピーチの名手。大統領選だけではなく大統領就任後にも数々の名スピーチを残しています。中でも2004年民主党大会での「基調演説」は伝説のスピーチとも呼ばれていて、当時無名だったオバマ氏が頭角を現わすきっかけともなりました。, さて今回は、そんなスピーチの名手オバマ大統領が広島で行ったスピーチの内容を、英語での原文と翻訳した和文の全文をご紹介したいと思います。既に多くのサイトが翻訳文を載せていますが、オバマ大統領の演説集(英文)を飽きるほど読み倒した私が、自ら翻訳を行いたい!という自己満足を満たすため一から翻訳をしたものを掲載しています。, 英語の勉強にも使えるように、前半部では原文(英文)と翻訳文を列記し、後半部(次の記事)では少し難解と私が判断した単語の意味を英文の横に並記しています。辞書を引かなくても読めるよう私なりに配慮したつもりです。, 後半部では今回のオバマ氏の演説のテクニックの解説なんかも軽くしているので、興味のある方は読んでみてください。, [wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]. 原爆ドーム(げんばくドーム、英: Atomic Bomb Dome )の名で知られる広島平和記念碑(ひろしまへいわきねんひ、英: Hiroshima Peace Memorial )は、1945年(昭和20年)8月6日8時15分日本の広島市に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える記念碑(被爆建造物)である。 。もともとは広島県のさまざまな … There are many sites around the world that chronicle this war — memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps, the echo of unspeakable depravity. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first men. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted. オバマ米大統領が27日に広島市平和記念公園で行った演説全文は次の通りです。 「核無き世界」を目指すオバマ大統領の渾身のスピーチではないでしょうか?17分間に渡る時間を感じさせない、とても素晴らしい演説だと思います。 Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind. オバマ大統領が、広島に行くそうです。原爆資料館、原爆ドームに黒いバックに入っている核ミサイルの発射スイッチも持って行くのでしょうか?あり得ないことですけど、原爆ドームの中から核ミサイルのスイッチが押されるかもしれないと世 Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. 2018/09/06 Oppressed peoples and nations won liberation. How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. Copyright(c) forTravel, Inc. All rights reserved. 2018/09/06, 2016年5月27日、アメリカ合衆国オバマ大統領は現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問。原爆投下国として、広島と長崎を含む第二次世界大戦のすべての犠牲者らに哀悼の意を示すスピーチをしました。全文を載せるのは長すぎるので、中間の一部だけ、原文と日本語訳で、ご紹介したいと思います。(前略)Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. 平成28年5月27日(金)、オバマ大統領がアメリカの大統領としてはじめて被爆地広島を訪問しました。この歴史的な日におこなわれた素晴らしいスピーチを、英語の勉強に活かしたいと思い、記録として残しておくことにしました。 当日の様子は、以下の動画で見られます。 And since that fateful day we have made choices that give us hope. 追記です。先ほど(27日夜)プライムニュースを見ていたら、以下の情報が紹介されていました。 In the span of a few years some 60 million people would die; men, women, children — no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed starved, gassed to death. My own nation’s story began with simple words. Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. [wc_column size=”one-half” position=”last”], 71年前、雲一つない青空の朝、死が空から降ってきて世界は変わりました。閃光と火の壁が町を破壊し、そしてそれは人類が自らを滅ぼす術を持っているということを示したのです。, なぜ、私たちここ広島を訪れるのでしょうか。私たちはそう遠くない過去、恐ろしい力が解き放たれたことを考えるためにここへ来るのです。10万人の大人・子供、数千人の韓国人、数十人のアメリカ人捕虜を含む多くの死者を追悼するためにここへ来るのです。, 彼らの魂が、私たちに語りかけます。もっと内側を見て、私たちが一体何者で今後どうなっていくべきなのかを振り返るのだと。, 広島だけが特別な戦争というのは真実ではありません。過去の歴史を振り返れば、人類はかなり早い段階から暴力的な衝突を繰り返してきました。我々の先祖は火打ち石から刃を、木から槍を作り、そしてそれを狩りに使うだけではなく、自らを傷つける道具であることも学んだのです。, どの大陸でも文明とは、戦争の歴史で満たされており、穀物の不足や金への欲望、もしくは国家主義者や宗教的理由からそれらは引き起こされてきました。帝国は栄え、そして衰退してきました。人々は支配され、そして自由を手に入れました。そしてそれぞれの岐路で罪なき人々が苦しめられ、数多くが犠牲となり、そして彼らの名は時とともに忘れ去られるのです。, 長崎、広島で残酷な最後を迎えた世界大戦は、世界で最も裕福で力を持った国同士で起こりました。これらの国の文明は、素晴らしい都市を築き、素晴らしい技術を生み出しました。思想家たちは正義と調和、そして真実の考えを進展させてきました。そして支配や征服といった本能的欲望は、小さな部族間でも衝突を招き、そしてその古くからの争いは、なんの制約もなしに新たな能力によってより大きなものとなってきました。, この数年で6000万人もの人が亡くなりました。私たちと同じ、男性、女性、子供たちがです。撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、拘束され、飢え、そして毒ガスで殺されたのです。, 世界には多くの戦争を記録した場所、勇敢で英雄的な物語を伝える記念碑があり、墓地や伽藍堂になった収容所では、言葉にするのもはばかれるほどの悪行がこだましています。, しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージの中で、私たち人類は矛盾を気付かされるのです。私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして我々人類を自然とは異なるものだと定義し、それを思い通りに変えてしまう力。そういったものが、私たちに無比の破壊力を与えるのです。, 物質的進歩と社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。正義の名のもとに、暴力を正当化することがいかに容易いことか。, 全ての偉大な宗教は愛と平和、そして公正さへの道を説いています。しかし人を殺すという信仰を唱える者を救おうとする宗教などありはしません。, 国が生まれ、犠牲や協力のもとに人々が結びつき、そしてそれは偉大な功績を生みます。しかしそれが同時に異なる人々を虐げ、非人間的にしてきたのです。 The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause? 現職米大統領、被爆地でスピーチ 現職の米国大統領として5月27日、初めて被爆地の広島を訪れたバラク・オバマ大統領。広島平和記念公園でのスピーチは、予定を大幅に超えて17分間にもおよびました。 みのりんです英語でも被爆者は ヒバクシャというのですね今日 夕方 広島の原爆資料館の視察をし原爆慰霊碑前にて 来日しているオバマ大統領が広島原爆慰霊碑前で献花… We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave the pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own. 両首脳は,原爆ドームの方へ進み,「平和の灯(ともしび)」の北側から原爆ドームを望み,岸田大臣が説明を行った。1996年に世界遺産に登録された原爆ドームは,被爆地を象徴するものであり,オバマ大統領は熱心に岸田大臣の説明を聞いていた。 That is why we come to this place. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines. 2016年6月5日付. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to protect ourselves. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill. http://4travel.jp/dm_hotel_tips_each-13280746.html. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well. オバマ大統領のスピーチ:原爆ドーム・平和記念公園・宮島・岩国錦帯橋 84 いいね! 2018/09/06 - 2018/09/06 They ask us to look inward to take stock of who we are and what we might become. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. アメリカのオバマ大統領が5月27日、広島を訪問します。実は、これまでにもヒロシマを訪れた著名人はたくさんいます。キューバ革命の伝説的英雄、チェ・ゲバラは急きょ日程を変更して、広島へ足を伸ばし「悲痛な言葉」を残しました。原爆資料館で資料に… オバマ大統領の広島訪問を数時間後に控えた27日午後、広島市中区の原爆ドーム前でオバマ大統領の広島訪問を反対するデモ隊と「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のメンバーらが“衝突”した。「オバマ … Mere words cannot give voice to such suffering. It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. オバマ大統領 広島で歴史的スピーチ 2016年5月27日、オバマ大統領が歴代のアメリカ大統領として初の広島訪問を実現させました。その際平和記念公園で行ったスピーチでオバマ大統領は、日本への哀悼の意を示しただけではなく、日 問題のある投稿を連絡する, マイルに交換できるフォートラベルポイントがたまります。 We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. スピーチを終え、原爆ドームに向かう途中のオバマ大統領と安倍首相の会話. 広島とオバマさん、思い重なる. 今年はオバマさんやカープ優勝で広島熱いですよね〜 平和記念公園や原爆ドーム、日本人として一度は行かねばと思ってますが 重い歴史を見る勇気が出ず未だ行けていません。 原爆資料館の写真集を小学校の時に授業で見た衝撃が大きくて。 Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. 広島原爆ドームに当時のアメリカの大統領バラクオバマが訪問されたのは有名ですが、他に訪れた首相はいるのでしょうか。 平和についての作文の参考にさせていただきたいです。お願いします。 We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.Mere words cannot give voice to such suffering.But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.(後略)技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。この17分間におよぶオバマ大統領の演説には、アメリカから日本への「謝罪」めいた表現はなく、過去の戦争の歴史を振り返り、今後の「核兵器廃絶」、そして「世界平和」を目指そうという全世界に向けての力強いメッセージが含まれていた。表紙の写真は1952年、平和記念公園に設置された原爆死没者慰霊碑。設計は丹下健三氏で、慰霊碑の奥に原爆ドームが見える。, 広島湾に登る朝日をホテル23階レストランより撮影。手前の大きな船は自動車運搬船と思われる。, 瀬戸内海方面はこんな感じ。なお、ホテルのクチコミについては下記をご覧ください。http://4travel.jp/dm_hotel_tips_each-13280746.html, 今朝の出発は8:30。出発まで駐車場の向こう側にあった海岸をブラブラ。第一釣り人発見。, 広島の街はアムステルダムに似て、埋め立てで出来ているため地下鉄は無いが、いろんな種類の市電が走っている。これは最新型か。, 原爆投下当時,広島県産業奨励館と呼ばれていたこの建物は1915年竣工。設計はチェコの建築家、ヤン・レッツェル。元々は広島県の物産を展示するための物産陳列館として開館した。ドームの先端までの高さは約25mあり、ネオ・バロック的な洒落た建物であった。レッツェルの起用は、当時の県知事によるものであり、前職の宮城県知事時代、レッツェルの設計した松島パークホテルを見て彼に物産陳列館の設計を任せることを決めたといわれる。, 1945年8月6日午前8時15分、テニアン島を発進したアメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。投下43秒後、爆弾は奨励館東にある医院の上空約600メートルの地点で炸裂する。炸裂後、0.2秒で奨励館は熱線に包まれ、周囲の地表温度は3,000℃に達した。0.8秒後には、衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風が襲い、奨励館は、原爆炸裂後1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊したが、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存した。 ドーム部分が全壊しなかった理由として、 1.衝撃波を受けた方向がほぼ直上からであったこと2.窓が多かったことにより、爆風が窓から吹き抜ける条件が整ったこと3.ドーム部分だけは建物本体部分と異なり、屋根の構成材が銅板であったこと。銅は鉄に比べて融点が低いため、爆風到達前の熱線により屋根が融解し、爆風が通過しやすくなったことなどが挙げられている。 (Wikipedia参照), 原爆ドームは原子爆弾の惨禍を示すシンボルとして知られるようになったが、1960年代には風化が進んで崩落の危険が生じた。また、一部の市民からは「取り壊してほしい」という根強い意見があり、存廃の議論が活発になった。広島市当局は当初経済的理由から原爆ドーム保存には消極的で、一時は取り壊される可能性が高まっていたが、議論の流れを変えたのは、1960年急性白血病のため16歳で亡くなった高校生の日記がきっかけとなり保存運動が起こり、その結果1966年に広島市議会が永久保存することを決議した。 翌年には保存工事が完成し、その後定期的に補修工事が施されるなど広島市単体での保存・管理が続いていたが、被爆50年にあたる1995年に国の史跡に指定され、翌1996年には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決定された。, 原爆死没者慰霊碑。この前でオバマ大統領がスピーチをした。大統領の左右には安倍総理大臣と岸田外務大臣が立ち会った。, 「平和の火」は1964年8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっている。, 「原爆の子の像」は、2歳の時被爆し、10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけ、全国3,100校余りの生徒と世界9か国からの支援により、完成した慰霊碑。, 平和記念公園を後に、ツアーバスは国道2号線を西へ。それにしても広島は周囲を高い山に囲まれた街だ。, ミニ大鳥居の向こうに見えるものは、毎年1月に行われる都道府県対抗駅伝で一周する駅前ロータリー。, 世界遺産・国宝・厳島神社に参拝。実を言うと2007年に一度来たことがあり、この写真は当時のもの。, 厳島神社は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。ユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。 現在の海上に立つ大規模な社殿は平清盛により整えられたもので、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。(Wikipedia参照), この泉は「鏡の池」と言われ、干潮のときしか見ることが出来ない。厳島八景のひとつだそうだ。, 厳島神社の特徴である「舞台」は修理中。まあ、海の上にある木造物なのでメンテナンスは永遠に終わらない。, 拡大するとこんな感じだが、鳥居の間から少々場違いな建物が見える。宗教法人平等大彗会により設立された美術館で現在は「海の見える杜美術館」という名の建物だそうだ。TDさん曰く”足立美術館のように神社側で買い占めておけばよかったのに”。, 「反り橋」は天皇の使いである勅使が参拝のときに渡る橋。実際に渡るときは階段を設置するそうだ。, 参拝を終了後、門前町に戻り「だいこん屋」という名の店で昼食。1Fでは名物「もみじ饅頭」を製造販売している。, 昼食後、水の引いた大鳥居まで行ってみる。日本三景の1つと言われる大鳥居は高さが16.59m、 柱の間が10.85m、という巨大な鳥居。, 1円玉が一番多く5円、10円と続くが、50円や100円はほぼ見られない。ケチっているのか、それとも盗まれたのか解らない。, こんな所まで。なお、神社側としては「鳥居の寿命を縮めるので、止めて欲しい」と主張している。, こんどは五重塔に行ってみる。この塔は1407年に建立されたもので、もとは大聖院の子院である金剛院に属していたが、明治の廃仏毀釈の時に中にあった仏像は他の寺に移され五重塔は厳島神社の所属となった。, 「千畳閣」は太閤秀吉が1587年に建てた建物で、元々は寺を建てるつもりだったが、秀吉が亡くなった為未完成となり、その後「豊国神社」の所有となったもの。, 宮島から再びフェリーに乗り宮島口からバスで岩国へ30分ほど移動。岩国ICから5分ほどでやってきたのはご存じ錦帯橋。全長193.3m、幅員5.0mで、市販の釘は1本も使わずに造られており、5連の太鼓橋がアーチ状に組まれ、世界的に見ても珍しい木造アーチ橋として知られる。, 1673年に錦帯橋は完成したが、翌年、洪水によって流失してしまった。同年、橋台の敷石を強化して再建したところ、この改良が功を奏し、その後は昭和期まで250年以上流失することなく、その姿を保った。なお、橋の向こう側の山の上にある城は岩国城。今でもロープウェイで行くことが出来る。, 橋を渡れるのは武士や一部の商人だけで、一般の人が渡れるようになるのは明治に入ってからであった。 もちろん、今では入場料を払えば誰でも渡れる。, 錦帯橋名物はソフトクリーム。店の名は「佐々木小次郎商店」。店の名のいわれとなった佐々木小次郎だが、吉川英治の小説『宮本武蔵』に、小次郎がここ岩国で「燕返し」を編み出した場所と書かれている。しかし、実際にはこの橋は「巖流島の決闘」の60年後に作られたもので、どうも吉川英治の創作らしい。, 1950年9月、折からの台風により第四橋の橋脚から崩壊し、錦帯橋はほぼ完全に流失してしまう。その後復元されるが、完全では無かった為、2001年より2004年に26億円をかけて、約50年ぶりに橋体部分の架け替え工事が行われた。, 岩国から約1時間30分かけて広島空港まで移動。昔は広島市内の埋め立て地にあったが、狭小で大型機が離発着出来ないため、1993年に55km離れた三原市の山を切り開いて造った3000mの滑走路を持つ空港。年間利用客数は、開港時の予想で「最大でも年間300万人」とされていたが、予想を上回る成績をあげた。 しかし、2012年に、岩国基地の軍民共用化が実現し岩国錦帯橋空港として開港。広島空港より10km近く、駐車場も無料(広島空港は有料)なので、利用者数は伸び悩んでいる。なお、右側に駐機しているのはANA機、我々を迎えに来てくれたのは左側のJAL機。, 1時間ほど待ち時間が発生したので、プレモルとカープかつで一杯。手前にあるワンカップは広島の地酒で、オバマ大統領も安倍総理大臣と飲んだと言われる純米酒。, 帰りは17:55発JAL264便で機種はボーイング737-800。3-3の座席で来たときより少し狭かった。19:30 滑走路混雑のため少し遅れて羽田空港に到着。迎えのシャトルバスに乗り、駐車場でセルボに乗り換え、前回、入り口を間違えた山手トンネル(全長18.2km・全長日本一・世界で2番目)を慎重に通過、外環道-関越道ー上信越道を通って23:30に帰宅する。自分にお疲れ様。これで「オバマ大統領のスピーチ:原爆ドーム・平和記念公園・宮島・岩国錦帯橋」は終了です。本日も最後までご覧頂きありがとうございます。ん?いつものお土産は・・・・・少なかったのと、これから海外旅行の準備をしなければいけないので省略します。悪しからず。, おまけ:国内ツアーに初参加しました今回の旅行は○ラピックス主催の「安芸の宮島・出雲大社と足立美術館・原爆ドーム 2日間」に参加したものです。今まで国内旅行は、北海道だろうが、倉敷だろうがほとんどマイカーで行きましたが、さすがに寄る年波には勝てず、大事をとって国内ツアーに初参加しました。旅費は2人合わせて7万円というもので、所謂格安ツアーですから、あまり期待はしていなかったのですが、思ったより良い印象でした。1.機内は全て日本語が通じる。 当たり前田のクラッカーですね(^^;;2.移動時間は1~2時間。 ヨーロッパの13時間が嘘のようです。3.パスポート不要、両替不要、時差ボケなし。そして最大の違いがホテルです。部屋といい、バスルームといい、アメニティといい、食事といい、海外(とくにヨーロッパ)の☆☆☆ホテルより良いんです。そして「おもてなし」の心に至っては比べものになりませんね。と、いうことで今後は国内旅行に軸足を置き、海外旅行は少し減らしても良いかなって、考えるようになりました。, 利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans. What a precious thing that is. 外交によって紛争を防ぎ、既に始まってしまった戦争については、それを終わらせるために。平和のため、武力競争ではなく相互関係の進展を図るために。我々の国家の価値を、破壊の能力ではなく創造の能力によって評価するために。 Why do we come to this place, to Hiroshima? そして我々は人類の一員として、我々の繋がりを再考しなくてはなりません。 Hiroshima teaches this truth. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered — a countless toll, their names forgotten by time. [wc_column size=”one-half” position=”last”], http://round-biscuits.com/wordpress/wp-content/uploads/2018/12/8b2a54a038d860445a2df2ea18dee0a7.png. 原子の分離を可能にした科学の革新は、モラルの革新をも求めるのです。, だから私たちはここに来るのです。町の中心に爆弾が落とされたという事実を思い返すために私はここに立つのです。あの日、子供たちが目の当たりにした恐怖を私たちも感じなければならないのです。, 私たちは声なき悲鳴にも耳を傾けます。これまでに起こってきた戦争、そしてこれから起こるであろう戦争など、あらゆる凄惨な戦争によって殺された罪なき人々を思います。, それらの苦しみの声は、単なる言葉では表すことはできないのです。しかし私たちはそれらの凄惨な歴史に目を向け、そのような苦しみを再び繰り返さないように努める義務があるということを共有していかなければなりません。, いずれ、被爆者の声、彼らの証言は聞くことができなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の出来事は決して風化させてはなりません。あの日の記憶は、私たちを現状に抗うよう仕向けるのです。道徳的想像力を刺激するのです。そして、私たちを変化へと導いてくれるのです。, そしてあの運命の日から、私たちは希望を与える選択をしてきました。
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