『史記(司馬遷による、中国の歴史書)』「留侯世家」より。都を占領してすっかり気の緩んだ劉邦(りゅうほう)に対して、軍師の張良(ちょうりょう)が、人の戒めを聞くよう忠告した時の言葉。, ・身にふりかかる災難(さいなん)を活用(かつよう)して、自分に役立(やくだ)つものとして利用するさま。 出典は「韓詩外伝(かんしがいでん)」です。斉(せい)の荘公(そうこう)が狩りに行ったときにカマカリが前足を振り上げ車の輪を打とうとしたので「これは何の虫だ」と問うと、「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量をかえりみず相手に立ち向かっていきます」と答えたことから。, 怒ったために頭髪が逆立って、かぶった冠を突き上げるという意味で、尋常ではない、すさまじい怒りの形相のこと。, 【故事】 「豊臣秀吉」と「明智光秀」が争ったとき、「筒井順慶」が京都と大阪の境にある「洞が峠」で陣を張り、どちらか戦況が有利な方に味方しようとしたという故事から出た言葉。, 【故事】 「論語」「子路」から。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」君子は人と協調するが、安易に同調したり雷同したりすることはない。主体的に人とつき合うべきであるという言葉。. 「世説新語(せせつしんご)」黜免(ちゅつめん)より出典。「桓公(かんこう)蜀(しょく)に入り、三峡の中に至る。部伍(ぶご)の中に猨子(えんし)を得る者あり。其(そ)の母岸に縁(よ)りて哀合し、行くこと百余里にして去らず。遂に跳りて船に上り、至れば便即(すなわ)ち絶ゆ。其の腸中を破り視れば、腸皆寸寸に絶えたり。」中国、晋(しん)の武将桓温(かんおん)が蜀へ行こうとして、舟で三峡(長江中流の大渓谷で、古来航行の難所)を通った時に、従者が猿のこどもを捕らえて舟に乗せた。母猿は悲しい鳴き声をあげながら、岸に沿ってどこまでも追いかけてきて、百里以上ついてきたけれどあきらめようとせずに、ついに舟に飛び乗ってきた。しかし、途端に息絶えてしまった。そこでその腹を裂いてみると、悲しさのあまりに腸がずたずたにちぎれていたということに基づいている。, 目の前の違いに心を奪われて、結果が同じになることに気がつかないこと。また、ことば巧みに人をだますこと。, 【故事】 「覆水」とは、こぼれた水のことを表す。, 「刎頚」とは、首をはねることで、その友人のためなら首をはねられても悔いはないと思うほどの、親しい交わりの事。 中国の「漢書(かんじょ)趙充国伝(ちょうじゅうこくでん)」にある言葉が由来。「百聞は一見に如かず。兵はるかに度(はか)り難し。臣願わくは馳せて金城(きんじょう)に至り、図して方略をたてまつらん。」戦のことは遠く離れたところにいたのではわかりません。私が金城に駆け付けて状況を探り、図に書いて作戦計画を奏上いたしましょう。とあることに基づく。, 時勢や情勢に合わせた対処の方法のこと。もとは軍を指揮するときの四つの心構えのこと。風のように速く行動して、林のように静かに機会を待ち、火のように激しく襲い掛かり、山のように動かずに構えるという意味。孫子の中の句を略した言葉で、武田信玄が旗印に使ったといわれている。, 【故事】 小学生で習うことわざは約200個です。当サイトでは 2500個以上 のことわざを掲載しています。 小・中学生はもちろん、高校生も大学生も、そして大人の方の勉強としても十分活用できます。 「史記」より。中国、漢の韓信が趙の軍と戦った際に、川を背にして陣取って大勝したという故事から。, 【故事】 『詩経』の中にある滅びゆく周王朝について述べた部分が元となってできた故事成語。原文は『詩経』大雅・蕩と名付けられた詩です。この詩は全8章で、「有終の美を飾る」はこの第1章の最後に出てきます。ただこの言葉と同じ文字は出てきません。原文の最期にある「鮮克有終」が「有終の美」の元になった言葉です。この歌は西周が滅びようとするのを周の文王に託し、殷の紂王になぞらえて傷み歌ったものとされています。, 【故事】 戦国時代に、相模(さがみ・神奈川県)の小田原城の北条(ほうじょう)氏が、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の軍勢に攻められて包囲されたときに、戦いを続けるか和睦(わぼく)すべきかを相談していたが、なかなか意見がまとまらなかったことで、ずるずると滅亡に落ち込んだ、という故事に基づく。, 前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意から。, 【故事】 ことわざ慣用句の百科事典が大阪市港区、財団法人ことわざ検定協会、Wikipedia、GMO運営ニュースサイト、大阪市立港中学校ホームページに掲載。. 「学問に近道なし」には数多くの説がある。最も有力的な説は2つあり、1つ目は「幾何学の父」と称された古代ギリシャの数学及び天文学者のユーグリット(希:エウクレイデス)説である。ユーグリットはエジプトの王・プレイマイオス1世(英:トレミー)に幾何学を教えていたところ、王が「もっと簡単で楽に学べる方法はないのか?」と彼に尋ねたら、「幾何学に王道なし」と言ったという説。2つ目は、数学史上初の円錐曲線を作図したとして有名な古代ギリシャの数学者メナイクモスが、弟子であるマケドニアの王・アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)に「もっと簡単に幾何学を学べる方法はないのか?」と尋ねられた問いに対し「幾何学に王道なし」と言ったという説である。, 【故事】 ・何事も、先手を取ることで成功の糸口をつかめるが、後手に回っては勝ち目がない。, 【故事】 無料でダウンロード・印刷できる、小学生向けの慣用句 一覧プリントです。. 中国の戦国時代に張儀が、魏王に秦と連合することを説いた話から。「高枕」ともいう。, 【故事】 「大同小異」の故事は、中国の戦国時代に書かれた『荘子』(そうし・そうじ)の中に出てきます。『荘子』は荘子、つまり荘周によって書かれた思想書で、故事成語「大同小異」はこの本の第3部「雑編」の最後の項目「天下」に出てきます。「大同而与小同異、此之謂小同異。万物畢同畢異、此之謂大同異」がそれです。意味は「世の中には大同にして小同と異なるものがあり、これを小同異という。これに反して万物ことごとく同じく、ことごとく異なるものがあってこれを大同異という」ということ。, 他人の失敗や、誤ったり劣っている言動は、自分の為に利用する事が出来るという事。知徳を磨いたり、反省材料にする際に参考になるという事。, 【故事】 「巻」は、昔の中国の官吏登用試験の答案。最優等者のものをいちばん上にのせたところから。, 【故事】 「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上部にあたり、ここに病気が入ると治療できないとされた。「春秋左氏伝・成公十年」にある故事に基づく。晋の景公が病気になり、秦から名医を呼んだところ、医者が着く前に景公は、病気の精が二人の童子となって、膏と肓の間に逃げ込む夢をみた。医者が到着し、景公を診察すると「膏と肓の間に病気があり、薬も針も届かないので治療のしようがありません」と言ったので、景公はその医者を厚くもてなした。まもなく景公は亡くなった。, 「有終」は最後をまっとうする、しかっり締めくくるという意味。最後まで物事をやり遂げて、しかも立派に締めくくること。, 【故事】 元々は『礼記』という書物に記された中国の故事である。孔子は中国の山東省泰安市にある泰山を歩いていると、一人の女性が墓の前で泣き崩れているところ見かける。孔子は女性に涙の分けを聞くと、女性は家族を虎に殺されたという。孔子はそのような危険な土地から去るように勧めるが、女性は「別のとこでひどい政治に苦しめられるよりもここにいる方が何倍も良い」と答えたという。, 自分ではなく他人の利益のために、そそのかされ危険をおかし、酷い目にあうことのたとえ。, 【故事】 最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。「蛇に足はない。だから、酒を飲む権利は私にある。」そう言って、その酒を飲んでしまった。, 自分にとって都合が良い方につこうとして、どちらつかずな態度で様子をみることのたとえ。, 【故事】 故事成語は、一つ一つに由来となった歴史や物語があります。 その中から、サイト管理人が「これはかっこいいな!」と思った故事成語トップ30をランキング形式にしました。 この記事で「かっこいい故事成語」を覚えてみてくださいね。 「逆鱗(げきりん)」とは、竜のあごの下に逆さに生えた鱗(うろこ)のこと。人がその鱗に触れると、竜が必ず怒ってその人を殺してしまうという伝説があった。「韓非子(かんぴし)」税難(ぜいなん)より。「その喉下に逆鱗径尺なる有り、若し人これにふるる者あらば、則ち必ず人を殺さん。人主も亦た逆鱗有り、説く者は能く人主の逆鱗にふるること無くんば、則ち幾からん」(君主にも逆鱗というものがあるので、君主に意見を述べるときには、その逆鱗に触れないように気を付けることが大切だ)と説いたことから由来している。, 【故事】 ・先手を取ることができれば、相手を圧倒し、抑えつけることができる。 黄河の上流に龍門があり、ここをのぼることができた鯉は龍なることができたという伝説がある。漢の国の李膺(りよう)はりっぱな役人で、彼の目にかなった者は立身出世(りっしんしゅっせ)を約束されたようなものだから、たとえの鯉が龍門をのぼったのと同じようなものだということから、この語ができた。, 【故事】 ことわざ一覧. 中国・後秦の王嘉による志怪小説集『拾遺記』 より、「周の太公望は、若い頃貧乏なのに働かず読書ばかりしていたので、妻は愛想を尽かし出て行った。後に太公望が出世して高位につくと、出て行った妻が復縁を求めてきたが、そのとき太公望は盆の水をこぼして「この水を元に戻せたら復縁に応じよう」と言った。」という記述から。 日本の戦国武将・武田信玄の軍の旗印として有名な「風林火山」ですが、これは元々『孫子』の中に出てくる言葉です。『孫子』の軍争篇で孫子は、戦術の基本は敵をあざむくことだ、と言っています。そしてその行動は変幻自在のものでなければならない、と。風のように行動したかと思えば、林のようにシーンと静まり返り、燃え上がる火のように襲いかかったかと思えば、山のように微動だにしない。ここがいくさでの変幻自在を説いた「風林火山」の部分です。, 一度離縁してしまった夫婦の仲は元に戻らない事。また、一度してしまった失敗は取り返しがつかないという事。, 【故事】 故事成語とは、ある故事がもとになってできた言葉です。故事とは、昔の出来事のことで、故事成語のほとんどは中国の古典に書かれた話からできています。故事成語は、一つ一つに由来となった歴史や物語があります。その中から、サイト管理人が「これはかっこいいな!... 当サイトに収録したことわざ・慣用句・故事成語の逆引き検索一覧になります。日常生活のちょっとした会話や、手紙、スピーチなど必要な場面で必要な表現をすばやく検索できます。ことわざ・慣用句の逆引き検索辞典としてご活用ください。メディア掲載情報➡︎メ... ことわざ慣用句の百科事典が大阪市港区、財団法人ことわざ検定協会、Wikipedia、GMO運営ニュースサイト、大阪市立港中学校ホームページに掲載。. 中国最古の詩編『詩経』の『小雅・鶴鳴』篇にて、「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに基づく。「よその山から出た粗悪な石でも、自分の玉(宝となるもの)を磨く砥石として利用できる。」という意味から。, 【故事】 「羊頭を掲げて、狗肉を売る」の略。羊の頭を店の看板に掲げて、犬の肉を売るという意。【出典】無門関[第六], 【故事】 髪の毛一本入れる余地もないことから。前漢の時、呉王・劉濞(りゅうひ)が漢に恨みを持ち謀反を起こそうとした。すると、郎中の枚乗(ばいじょう)がそれを諌めてこう言った。「王の行為は、糸に千鈞もの重りをつけ、際限なく高いところから計り知れないほどに深い淵に吊り下げるようなものです。一旦糸が切れてしまうと二度と出られないでしょう。出ようにも、【その隙間は髪の毛一本も入らないほどです】」(『説苑』正諌より), 心に疑いを抱いていると、なんでもないことまで疑わしく不安に思えてくること。疑いがつのり何でもないことにおびえるようす。疑いの心が膨れ上がると、何でもないことにも不安や恐れを抱くものである。, 【故事】 楚の人が、人を突く武器である矛(ほこ)と身を守るための盾(たて)を売っていた。そして、「この盾は頑丈で、どんな武器でも突き通すことができない。」と言い、また「この矛は鋭く、どんなものも突き通すことができる。」と言った。その時、ある人が「それでは、あなたの矛であなたの盾を突いたらいったいどうなるのか」と尋ねたところ、その人は何も応えることができなかった。, 心が清く澄み切っていて邪念のない心境のたとえ。「明鏡」は曇りが一点もないきれいな鏡のこと。「止水」は止まっていて澄み切った水のこと。, 【故事】 「慣用句」「故事成語」「ことわざ」「四字熟語」とは 「慣用句」について詳しく 「慣用句」とは 習慣として使われてきたひとかたまりの言葉や文句のこと です。 「慣用句」は、二語以上の単語が結びついて全く異なる意味を形成しているのが特徴です。 中国前漢時代の学者・劉向が戦国時代の言説、国策、献策、その他の逸話をまとめあげた書『戦国策』の『楚策』より。「虎が狐を食おうとしたところ、狐は自身が天帝から百獣の王に任命されているため、食べたら天帝の意にそむくことになると伝えた。嘘だと思うならついて来い、と言われた虎は、狐の後に続くと、行き合う獣たちはみな逃げ出していく。虎は獣たちが自分を恐れていたことに気づかず、狐を見て逃げ出したのだと思い込んだ。」という記述から。, ルールを守るためには、たとえ肉親や親しい人であろうと己の情を捨て、切り捨てないといけないという意味である。, 【故事】 故事成語 2019.12.05 2020.01.03 ことわざ・慣用句の百科事典 【故事成語100選】有名な故事成語一覧と意味付き 「ことわざ」と「慣用句」と「故事成語」は異なる表現です。 まず、 「ことわざ」は昔から伝えられてきた人々の生活の知恵や生きていくうえでの大切な教えなどを含んだ短文 です。 次に、 「慣用句」とは、習慣として使われてきた一かたまりの言葉や文句のこと です。 ことわざといえば、思いつくものはありますか?大人に言われることもあるかもしれません。 1.好きこそ物の上手なれ 自分の好きなことは熱心にやるから、ひとりでにうまくなるものだ。 2.可愛い子には旅をさせろ 子供には辛いことも経験させろ。 3.あぶ蜂取らず 欲張ると、どちらも得られなくなる。 4.餅は餅屋 どんなこともその専門家に任せるのが良い。 5.亀の甲より年の功 長年の経験は何よりも価値がある。 6.転 … 晋の孫楚(そんそ)と言う人が隠居(いんきょ)する時に友人に「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべき所を「石に漱ぎ流れに枕す」と逆に言ってしまった。友人にそのことを言われると、負け惜しみで石でくちをそそぐのは歯をみがくためで、流れに枕するのは耳をあらうためだ」とこじつけたことから、この語ができた。, 功績が上に立つ者だけのものとなって、下に働く者や陰になって苦労した人たちの努力は報われないというたとえ。, 【故事】 故事成語の意味3つ目は、故事成語は「西晋(せいしん)の陳寿(ちんじゅ)による歴史書「三国志」に記されている言葉」ということです。三国志は、司馬遷が活躍していた中国前漢時代よりも後の時代で、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)三国の歴史が記されています。 時代と国を越えて語り継がれる故事 … 秋は空気も澄んでいて、空も高く感じられ、馬も肥えるような収穫の季節でもあることから。杜審言(としんげん)の詩「蘇味道(みそどう)に贈る」に「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」とあるのに基づくという説があります。「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きるから、今年もその季節がやってきたので警戒しましょう」という意味です。, 【故事】 「左伝哀公十七年」にある故事から。諸侯が同盟を結ぶ儀式で、盟主が牛の耳を割いて血を採り、これを順番にすすったということから。, どんなに弱い者でも、絶体絶命の窮地に追い詰められれば、強い者に逆襲することがあるという事。弱い物を侮ってはいけないと言う事。また、逃げ場のないところに人を追いつめてはいけないと言う事。, 【故事】 「三国志」蜀志より。蜀の劉備が志を得ず、寄寓の生活を送っていたころ、長く戦場に出ないため、股に肉が付きすぎ、功名も立てずに時間ばかりが過ぎていくのを嘆いたという故事から。, あれこれと何度も人から聞くよりも、実際に自分の目で確かめるほうが確実だというたとえ。, 【故事】 宋の狙公(そこう)が飼っていた猿に橡(とち)の実を与えるとき、朝に三つ、夕方に四つやろうと言うと怒ったので、それなら朝に四つ、夕方に三つやろうと言うと大喜びしたという、『列子』『荘子』にある寓話に基づく。, ・金持ちが見栄をはったり、儀礼的に多くの寄進をするよりも、貧しい人が真心を込めてする寄進のほうが尊いということ。 故事成語とは、ある故事がもとになってできた言葉です。故事とは、昔の出来事のことで、故事成語のほとんどは中国の古典に書かれた話からできています。, この記事では、沢山ある故事成語の中でも、厳選して有名な故事成語を100個にしぼり意味と故事付きで掲載しました。, 小・中学生はもちろん、高校生も大学生も、そして大人の方の勉強としても十分活用できます。, また、それぞれの故事成語の上の⭐️印は知っておきたい故事成語の重要度を表しています。, 【故事】 小学生(高学年)が知っておきたい、良く使う重要な慣用句とその意味を、あいうえお順にならべ一覧表プリントを作りまし … 中学入試や中学生の定期テスト、高校入試でもよく出題される、体の一部を使った慣用句のまとめと問題です。 体のパーツごとに慣用句一覧をまとめ、混合問題もあるので覚えているかチェックすることができます。 スポンサーリンク 「荀子」の言葉から。 青色の染料は藍から取るものだが、もとの藍の葉より青くなることからいう。「藍」は、たで科の一年草。「青は藍より出いでて藍よりも青し」ともいう。, 【故事】 中国の戦国時代に、梁の恵王が「自分は、凶作の地にいる民を豊作の地に移住させるなど、常に人民に気を配っているのに、なぜ各地から人民が集まらないのだろうかと孟子に尋ねたところ、孟子は「戦場で五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を臆病者だと嘲笑したら、どう思うかというたとえ話をした。「逃げ出したことには変わりないのだから同じだ」と答えた恵王に、孟子は「その道理がわかっておられるなら、人民の数が他国より多くなることなど望まないことだ(人民が苦しむのを凶作のせいにしていては、他国の政治と大差はない)」と言ったという故事に基づく。同様の立場にありながら、相手を嘲笑する愚かさをいう。, 虎の子を捕らえるには虎のいる洞穴に入らなければならないように、危険を冒さなければ大きな利益や成功は得られないということ。, 【故事】 「後漢書(ごかんじょ)」朱浮(しゅふ)昔、遼東に住む男の家に、頭の毛が白い豚の子が生まれた。これは珍しいからと王に献上しようと思い、河東まで行ったところで豚の群れを見たら、そこの豚はみんな頭の毛が白かった。そこで男は恥ずかしくなって、こそこそ引き返してきたという故事に基づいている。, 良い薬は、苦くて飲みにくい。人の忠言は聞きずらいものだが、ためになる。という事のたとえ。, 【故事】 ・不幸なことが一転して幸福に転じるさま。, 【故事】 「晋書」より。貧しくて灯火用の油が買えないため、車胤は蛍を集めた光で、孫康は窓辺の雪明かりで読書したという中国の故事から。, 【故事】 史記に由来する言葉。江西のひとびとが、秦に対して反乱を起こした時に、殷通(いんとう)という長官が項羽に対して、「先んずれば即(すなわ)ち、人を制し、後(おく)るれば、則(すなわち)人の制するところとなる。」と、言ったことが由来。人よりも先に行動を起こすことで、人の先頭に立ち指示を出すことができるが、人の後から行動を起こしてしまえば、人に指示をされて支配されてしまう。という言葉からできた故事成語。, 【故事】 きわめて親密な付き合いの事。, 【故事】 崔林(さいりん)はあまり目立たず、人々からはおろか者と言われていた。しかし、いとこの崔えん(さいえん)という人だけは、「大きな鐘は、そうそう、やすやすとはできない。大きな才能もそれと同じで完成までに年月がかかる。」と言った。崔林は成人すると、その才能をりっぱに開かせ、地位の高い人物になった。(老子), 【故事】 司馬しば錯さくという戦国時代の秦しんの将軍が、張儀ちょうぎという戦国時代の遊説家ゆうぜいか(戦国時代に諸侯などに策を提言し、それを生業とした人)と秦の恵王の前で次のような論争をしました。司馬錯は我が秦はまず蜀を攻めるべきだと主張し、一方遊説家の張儀は「蜀など攻めずに韓を攻めた方がよい」と言います。二人の提言を聞いた秦の恵王は、さらなる説明を二人に求めます。張儀は「まず魏と楚両国と親善関係を結び、そのあと韓を討ってそのまま周を脅迫し、秦が天下を取ったと名乗りをあげるべきです」と主張します。司馬錯はこれに対し「いやいや、まずは広大な蜀を手に入れて国力の増大を図る方が先です」と主張します。司馬はさらに「現在秦の土地はわずか、庶民は困窮しております。まずは簡単にできることから始めるべきでしょう。蜀は西の辺鄙なところにあり、ここを奪えば秦は領地が広がり、財も得られ、庶民を豊かにすることも可能です。軍をよくおさめ、庶民に害を与えなければ、蜀は我らに帰順するでしょう。そうすれば天下の人は我々を暴虐とか貪欲とか非難しないはずです。兵を一度動かすだけで名と利の両方が一挙に得られるのです」と王を説得します。恵王はそれを聞いて「良い意見である」と司馬錯の意見を取り入れ、まず蜀を攻めてこれを滅ぼします。, 自分の目で見たり耳で聞いたりするなどして得た体験や知識が圧倒的に少なく、それでいて自分の乏しい見聞にこだわってしまうという意味です。見聞が乏しいにも関わらず、自分は何でも知っているように勘違いしたり、得意になっている人を指す事もあります。また、世間知らずという意味もあります。, 【故事】 マンガでわかる!10才までに覚えたい言葉1000 - 難しい言葉 ことわざ 慣用句 四字熟語 故事成語 - 高濱正伸 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。 白い眉毛という意味。三国時代、蜀にいた馬氏の5人兄弟はいずれも優秀で、兄弟すべての字(あざな)に「常」という字があったことから「馬氏の五常」と言われていた。その中でも、眉毛に白い毛があった長兄の馬良は特に優れていたため、最も優れているものの例えとされている。【出典】蜀志[馬良伝], 【故事】 呂尚(りょしょう)という人物の号。「太公」とは、祖父のこと。周の文王が狩りに出かけたとき、渭水で釣りをしていた呂尚に出会い、「わが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」として見出され、太公望と名付けられた。これにより、釣りをする人のことを意味するようになる。【出典】史記[斉太公世家], 【故事】 出展は「後漢書」です。後漢の学者に推薦(すいせん)されて役人になった人が賄賂(わいろ)を贈ろうとしたとき、「夜なので誰にも気づかれません」と言ったところ、学者が「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る無しと謂(い)わんや=天の神も知っている、地の神も知っている、わたしもあなたも知っている。だからひそかにやっているつもりでも不正はいつかきっと露見(ろけん)する」と答えたという故事に基づいています。, 【故事】 中学国語の「慣用句」についてまとめています。慣用句・ことわざとは、何か、そして、それぞれの意味を理解することが大事です。一般教養として生活の中でも生かせるといいですね。覚えておきたい慣用句2つ以上の言葉が結びついて、もとの言葉とは別の意味を 出典は「阿闍世王受決経(あじゃせおうじゅけつきょう)」、「賢愚経(けんぐきょう)」です。阿闍世王は、招待したお釈迦(しゃか)様がお帰りになる時に、宮殿(きゅうでん)から祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)への道沿いにたくさんの灯火をともしました。それを見た貧しい老婆(ろうば)がなんとかお金を工面しやっと一本の灯火をともします。阿闍世王の灯火が消えた後も、老婆がともした一本の灯火はずっと消えなかったというお話です。, 【故事】 明智光秀が備中(びっちゅう=岡山県)の毛利氏を攻めるため出陣したが急に方向を転じ、「わが敵は本能寺にあり」といい本能寺にいた主君織田信長を急襲したという戦国時代の話から。, 【故事】 漢(かん)の国の王の劉邦(りゅうほう)と天下を争った楚(そ)の国の王の項羽(こうう)は、会見の時に項羽(こうう)の軍師の范増(はんぞう)の指示に従って、剣の舞(けんのまい)にかこつけて劉邦(りゅうほう)を殺そうとした。それを知った劉邦(りゅうほう)の家臣の樊かい(はんかい)が髪をさか立てて、怒りの顔つきで目をらんらんとかがやかせ、項羽をにらみつけていたので、劉邦は殺されずに助かったということから、この語ができた。, 【故事】 中国の三国時代を書き連ねた歴史書『三国志』(さんごくし)の蜀書・董劉馬陳董呂伝に記されてある逸話が語源とされている。蜀の軍師・諸葛亮(しょかつりょう)は、親友・馬良(ばりょう)の弟であり愛弟子でもある武将・馬謖(ばしょく)が街亭の戦いで諸葛亮の命令に背いたために大敗に終わったことから、責任を取り涙ながらに馬謖を斬罪したと言われている。, 【故事】 「月下」は、党の韋固が月明かりの下であった老人の予言通りの女性と結ばれた故事。「氷人」は、東晋の令孤策が氷の下の人と話した夢を「結婚の仲立ちをする前触れだ」と占われ、その通りになった故事から。「月下老人」と「氷人」の二つの故事を踏まえた合成語。, 【故事】 「顰み」とは、眉間にしわを寄せること。 「荘子」「天運」より。美女の西施が、心臓の病のために苦しげに眉をひそめたのを醜女が見て、美しいと思い、自分もそのまねをしたが、それを見た人は気味悪がって門をとざしたことから。, 【故事】 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); ©Copyright2020 ことわざ・慣用句の百科事典.All Rights Reserved. ・物の多少よりもまごころが大切であるということ。, 【故事】 中国、趙(ちょう)の都・邯鄲(かんたん)で、盧生(ろせい)という貧しい若者が宿で呂翁(りょおう)という道士から不思議な枕を借りて寝た。すると、出世して50年余りの栄華を極めて一生を終えるという体験をした。しかし、目が覚めてみると宿の主人が炊いていた粟もまだ煮え切らないほどの、短い時間だったということから。, お互いのことを理解して、信頼しあうこと。利害のあるなしに関わらず、親密な交際のたとえ。, 【故事】 孟子はこう言いました。「自分自身をだめにする人間とは共に語ることはできない。自分自身を捨てるような人間とは共に何かをすることはできない。その言葉で礼儀をそしる者、これを自暴と言う。自分自身を仁の中に置いたり、義に基づくことができない者、これを自棄と言う。仁とは安心して住める家のようなものである。義とは人が正しく歩める道のようなものである。その家を空き家にして住まず、その道を捨てて歩まないとはなんと哀れなことだろうか」, 【故事】 当サイトに収録したことわざ・慣用句・故事成語の逆引き検索一覧になります。日常生活のちょっとした会話や、手紙、スピーチなど必要な場面で必要な表現をすばやく検索できます。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); ©Copyright2020 ことわざ・慣用句の百科事典.All Rights Reserved. 「戦国策・斉」より出典。中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。 晋(しん)の時代のこと。武陵(ぶりょう)のある漁師が川をさかのぼっていくと、桃の花の咲く林に出た。さらにさかのぼると、思いがけない別天地にたどり着いた。そこには、戦争もなく、幸福にくらせる生活があった。後日、もう一度、漁師はそこに行こうとしたが、とうとう見つからなかったという。このことから、この語ができた。(桃花源記), 【故事】 「後漢書」の中の「今東帝無尺寸之柄、驅烏合之眾、跨馬陷敵、所向輒平」が由来です。東帝(劉秀・りゅうしゅう)が王郎と戦う事になりましたが、敵は兵の数が多いため、東帝は王郎を倒せるか心配になりました。すると部下が「王郎は烏合の衆を集めただけだから、この戦は勝てますよ」と言って東帝を励ましました。そこから、統率のない群衆や軍勢をあざけて、烏合の衆と呼ぶようになりました。, 遠国と親交を結び近国を攻略する外交政策。遠い国と手を結び、背後から牽制(けんせい)させながら近い国を攻める策。遠い国は最後に攻めるという策略。, 【故事】 「列女伝」鄒孟軻母より。孟子の母親は、孟子への悪い影響を避けるため墓地の近くから市場の近くに引っ越し、さらに学校に近くに引っ越した。その結果、孟子は勉学に励み偉大な儒者になったという故事から。, 苦労して一度はよくなったものが、またもとの好ましくない状態に戻ること。せっかくの苦労や努力が無駄になること。, 【故事】 中国前漢時代の討論会(塩鉄会議)の記録を、政治家・学者の桓寛が60篇にまとめた書物『塩鉄論・詔聖』より。「死して再びは生きずとなれば、窮鼠も狸(野猫)を噛む(死に物狂いになった鼠は猫を噛むこともある)」という記述から。, 【故事】 中国の儒学者・孟子の逸話・問答を集めた書『孟子』の『梁恵王・上』より。「土地僻き秦楚を朝せしめ、中国に莅んで四夷を撫せんと欲するなり。若き為す所を以て若き欲することろを求むるは、猶お木に縁りて魚を求むるがごときなり」 から。武力で天下統一を企んだ斉の宣王に、武力のみで天下を取るのは不可能であり、ずは仁政によりて民の生活を安んずることが肝要であるということ、まるで木に登って魚を捕らえようとしていること、と指摘した言葉から。, 心配しなくてもよいことを、むやみに心配すること。取り越し苦労。「憂」は心配する意味。, 【故事】
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